自陣営に引き入れる口説き文句は「家臣団で盛り立てましょう」
丹羽家は本を正せば、信長の家=織田弾正忠家とほぼ同格の家柄です。けれども長秀は、名門の出だからといって偉ぶるところがまったくなく、秀吉とも良好な関係を築いていました。自分の利益や感情的な好き嫌いで動くことがなく、何がいちばん織田家の未来にとっていいかを、客観的に考えることができる人物でした。
清洲会議の議題の一つである織田家の跡目について、勝家は三男の信孝を推してくることが予想されました。勝家は信孝の後見人をつとめており、また愚鈍と言われた信雄と比べれば、信孝のほうがまだ多少はましだったからです。
一方の秀吉は、信長の孫であり、嫡子・信忠の子である三法師(のちの秀信)を推すことを決めていました。清洲会議を前にして、秀吉はそのことを長秀に告げました。
このとき長秀は、
「それは妙案かもしれない」
と、思ったはずです。
三法師は、このときまだ3歳。天下泰平の世ならともかく、乱世の時代に3歳の稚児を織田家のトップに据えるのは危険ではあります。しかし秀吉は、
「いやいや、もう天下は織田家が取ったようなものではないですか。家臣団で三法師さまを盛り立てていけば、十分にやっていけますよ。そもそも織田家の正統性を考えれば、直系の三法師さまに家督を継いでいただくのが、筋ではありませんか」
と、言います。
「勝家に主導権を握らせるのは危険」丹羽長秀の結論
長秀は客観的立場から、物事を捉えることができる人です。
今回の会議では、勝家の案に沿って、信孝に家督を継いでいただくことに賛成すべきか。それとも秀吉の案に乗るべきか。長秀は熟慮します。
「確かに勝家は有能だ。しかしいかんせん、わがままで何かと上から目線でものを言う。信長さま亡き後、これからは家臣団が一丸となって織田家を支えていかなくてはいけないのに、勝家に主導権を握らせてしまうと、独断専行が激しくなることが危ぶまれる。その点、秀吉であれば、人の言うことにちゃんと耳を傾ける度量がある。ここは、織田家の将来を考えれば、秀吉に味方したほうが得策だろう」
こうして長秀は、秀吉陣営に入ることを選択したのです。