重要なのは、中立派のキーパーソンを取り込むための根回し
これは秀吉にとって、大きな意味がありました。中立な立場にいると衆目の一致している人物が、交渉の場で自分寄りの発言をしてくれれば、明らかに秀吉サイドの人物が発言するのと比べて、周囲に与える影響力がまったく違うからです。
これは現代を生きる私たちにとっても、参考になることです。交渉に勝ちたければ、事前の「根回し」によって、中立派のキーパーソンをいかに自陣営に引き入れておくかが重要になります。
ちなみに、秀吉自身は「織田家の将来」や「直系であるという正統性」を考えて、織田家の跡目に三法師を推したわけではありませんでした。
「信長さまの死とともに、織田家の覇権は終わった。揃いも揃って凡庸な信長さまの子どもたちが、天下を差配していくことは無理だ」
と、秀吉は見ていました。であるならば、信長さまの事業を継承するのは、家臣団の中でもっとも優れた実力者である自分しかいない、とも。
三法師を推したのも、勝家との結びつきが強い信孝よりは三法師のほうが、自身への権力の移譲を図る際に、スムーズに事が運びやすい、と判断したからです。
秀吉にとって清洲会議は、その布石を打つための重要な会議でした。
もちろん長秀の前では、そんなことはおくびにも出しません。
言いたいことを言ってから腹痛を理由にして中座した秀吉
清洲会議本番、勝家は予想通り信孝を推してきました。これに対して秀吉は、三法師を推します。秀吉と勝家との間で激しい論争が繰り広げられました。
すると秀吉は、何を思ったか突然、
「腹が痛くなってきた。自分はもう言いたいことはすべて言い尽くしたので、後は皆さんにお任せする」
と、会議の場から出て行ってしまったのです。
「秀吉は馬鹿か。これでこの交渉事、わしが勝った。何しろ相手がおらぬのだからな」
勝家はそう思ったことでしょう。