「終戦記念日」よりも重要な日
8月15日は終戦記念日です。しかしこの日を記念日にしている国は、日本のほかに韓国と北朝鮮くらいでしょう。韓国では「光復節」。北朝鮮では「祖国解放記念日」。どちらも、植民地支配から解放された日の記念です。
太平洋戦争の終戦に関して、国際法的に意味があるのは、まず8月14日。日本がポツダム宣言を受諾して降伏する意思を、スウェーデンとスイスを通じて、アメリカとイギリスへ正式に伝えた日です。
次は9月2日。戦艦ミズーリ号の上で日本が降伏文書に調印し、停戦が成立しました。中国では、その翌日に当たる9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」と定めています。しかし法的には、このあとも戦争状態が続きました。
1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して、太平洋戦争は完全に終わりました。国際法から見て重要なのは、この3つです。
8月15日は、玉音放送という形でポツダム宣言の受諾が国内に周知された、という意味しかもちません。しかも日本政府は、負けたことをきちんと認めず、「終戦」という言い方をしました。
一部の歴史修正主義者は、「あれは軍隊の無条件降伏であって、国家が降伏したわけではない」という理屈を口にしますが、実態で判断しなければいけません。軍隊が無条件降伏すれば、国家も無条件降伏することになります。戦後も天皇制が維持されたのは、アメリカの政策的配慮によってです。歴史的現実は、きちんと捉えなければならないのです。
太平洋戦争があと半年早く終わっていたら…
たらればですが、太平洋戦争が半年早く終結すれば、沖縄戦は起こらなかった。広島、長崎への原爆投下もなかった。ソ連の参戦もなかった。つまり、朝鮮半島の分断もなかったはずです。1945年2月の時点で日本はアメリカに勝てる見通しはまったくなく、英米との和平を仲介してくれる国を探していました。
1945年8月9日、ソ連が日本に宣戦布告し、満州へ攻め込みます。日本はまさにそのときまで、英米との和平の仲介をソ連に期待していました。しかしスターリンは、この年2月に行われたヤルタ会談において、すでに対日参戦を表明していました。
イギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領とスターリンが集まり、戦後の処理について話し合った際、「独ソ戦が終われば、その3カ月後に日本に宣戦を布告し、南樺太や千島列島を奪い返す」と宣言し、ルーズベルトは承諾しました。ソ連の参戦は、ルーズベルトの依頼にスターリンが応じる形だったからです。
しかし日本は、そのことを知りません。日本軍の飛行機を提供すれば、ソ連が和平交渉に応じると思っていました。