「最後は、岩瀬さんで終わるべきだ」
9回。マウンドに岩瀬。
先頭打者の金子誠は内角の甘い球が得意だ。外角スライダーで三振。
2人目の代打・高橋信二には長打がある。外角シュートを予想していただろうところを、スライダーでレフトフライ。一瞬ヒヤリとした。
最終打者は三塁に入っていた小谷野栄一。一発だけは避けなくてはならない。ほぼ外角勝負。カウント2-2から、最後は二塁ゴロに討ち取った。
チームはとにかく勝つために最善を尽くした。それだけに最後の二塁ベース寄りのゴロを荒木雅博が無造作に一塁送球したのには焦ったが(苦笑)、2007年まで4年連続ゴールデングラブ賞の荒木のなせる業だった。
この交代に関して、関係者のコメントを記しておく。
【山井】「自分に完全試合達成目前という投球をさせてくれているのは味方の力、特に守備のおかげでした。セギノールのショートへのヒット性のあたりを井端(弘和)さんが難なくさばいたのは、偶然ではなく、事前にセギノールの打球の傾向を研究し尽くして、可能性の高い場所に守っていたからなんです。ほかの守りにしてもみんなそう。(中略)だからこそ、最後は、シーズンを通して抑えの役目を果たしてきた岩瀬さんで終わるべきだと」
(阿部珠樹「未完の完全試合。山井大介“決断”の理由」Number Web、2008年4月3日)
落合監督「せめてあと3,4点あれば…」
【落合博満監督】「記録やタイトルが選手を大きく成長させることも身をもって知っているだけに、『せめて3、4点取っていれば、山井の記録にかけられるのに』と思ったのも事実だ。(中略)最優先しなければならないのは、『53年ぶりの日本一』という重い扉を開くための最善の策だった。あの時の心境を振り返ると、『山井は残念だった』というよりも、『ここで投げろと言われた岩瀬はキツいだろうな』というものだったと思う」
(落合博満『采配』ダイヤモンド社、2011年)
【森繁和コーチ】「(山井の)『岩瀬さんでお願いします』その一言を聞いたときに、私は安心した。ホッとした。私もピッチャーだったから、もちろん完全試合をやりたいという投手心理はよくわかる。(中略)だが、本人が『投げたくない』と言っているのに、無理矢理引っ張って、みんなが1年間求めてきた日本一というものを1イニングで変えてしまうということは、私にはできなかった」
(森繁和『参謀』講談社文庫、2014年)
【岩瀬仁紀】「すごいプレッシャーで、正直投げたくない自分もいた。いつもなら点を取られずに1イニングを抑えることを考えるが、あの試合は1人でも走者を出したら、自分は批判を浴びると思った」
【山本昌】「6回だった。ベンチ裏に下がってきた山井の指が見えた。皮がべろんとむけていた。思わず『大丈夫なのか?』と尋ねたほどだった。それからさらに2イニング投げたのだ。もう限界だったと思う。ユニホームのズボンについた血を見た森コーチや落合監督が決断したということになっているが、あれは山井本人が申し出た交代だ」
(山本昌『奇跡の投手人生50の告白』ベースボール・マガジン社、2015年)