馬鹿だらけのなかに利口が入ると、利口が馬鹿になる

いくつもの名物番組をものにした井原がどんどん出世して制作局長に就任したのは当然の成り行きだった。当時の日本テレビの小林社長が「今度就任した局長は、日本テレビの宝であります」とまで公言するほど期待されており、末は社長かというほどの勢いだったという。しかし、井原は50歳でスパッと退職してしまう。自分は管理職には向かないというのが理由だった。

元祖テレビ屋大奮戦!
[著]井原高忠
(文藝春秋)

プロデューサーの仕事は興行師と同じで、「当てる」ことができなくなったら辞めたほうがいい、というのが井原の論理である。しかし、あまりにも有能だったため、興行師として枯渇する前に抜擢されて管理職になってしまった。根っからの戦争屋のパットン将軍はノルマンディー上陸作戦では大活躍したが、ペンタゴンに入って偉くなることはできなかった。それとおなじで、根っからの興行屋の井原は、参謀本部では力が発揮できない。もちろん管理職としても客観的には有能だっただろうが、少なくとも本人はそう感じていた。ディレクターが「天皇」だったのに対し、局長は管理職全体のなかでは「二等兵」。権力と責任が集中するディレクターとしては超一流でも、「トロい人のテンポ」に合わせることを強要される中間管理職の仕事には向いていない、だからさっさとやめてしまう。シビレルほどカッコいい。

井原は自信家だが、自分が万能と信じている人ではない。人間は一口に優れているといっても、その人のセンスや能力は千差万別である。「東大の法学部の人は大蔵省に行ったほうがいい。テレビ局にくると場違いで役に立たない」と井原は言う。「馬鹿だらけのなかに利口が入ると、利口が馬鹿になる。自分は馬鹿だが、今の会社にフィットしたから偉そうにできる。よその会社に行けば全くの馬鹿になるから行かない」とじつに明快である。

仕事を単なるスキルの問題としてではなく、センスとして捉えているからこそ、こういう言葉が出てくる。仕事で本当にものをいう人間の能力は、定型的なスキルというよりも、センスとしか言いようのないものに根差している。スキルは取り換えがきく。センスこそが貴重である。必然的に「ほっといたっていいものを作る奴だけ集めて仕事しよう」という少数精鋭主義になる。

戦略は、全体がゴールに向って動いていく動画、流れるようなストーリーでなくてはいけない。個別の施策がバラバラと出てくるような静止画の羅列では「話にならない」のである。井原は文字通り、テレビ番組という動画の世界で、とびきりの戦略ストーリーを描いた人であった。