このコンセプトを起点に一連の戦略ストーリーを組み立てただけではない。自らスポンサーを回り、お金まで自分で持ってくる。スポンサーへの営業でやることといえば、「大演説」である。まずは社内の偉い人と社外でお金を出してくれる人に対して、自分の構想した戦略ストーリーをワンワン演説し、了解を取りつける。
もちろんスポンサーにとっても価値のあるコンセプトに仕立ててある。この番組は90分間にギャグが130シーンも入っていて、コマーシャルのあいだにもギャグがはさまれていた。そうするとCM中に視聴者も離れないし、スポンサーも喜ぶ。本編のみならず、CMも含め、90分間のどこを切り取っても井原が考えた戦略ストーリーの中にきちんと納まって連動していたのである。
それだけではない。現場でも、脚本家から衣装部から美術から音声から番組に関わる人を全員集めて1日かかるような大演説をぶつ。自分の描いたストーリーどおりに全体を動かすためには、戦略の実行に関わる全員がそのストーリーをすみずみまで共有しなければならないということを知り抜いていたからにほかならない。
放送作家として井原ともよく仕事をしていた小林信彦の著書『テレビの黄金時代』は、当時の井原に関する数多くのエピソードを伝えている。それによると、幼少時に学習院に通っていた井原は、「よしなにどうぞ」「ごきげんよう」「けっこうですね」といった「学習院言葉」とでもいうべき独特の言い回しを多用した。面白いのは、井原組の番組に出演した小山ルミ(当時、爆発的な人気を誇った天才少女アイドル)が「なぜ井原さんのスタッフはみんな変な言葉遣いをするの?」と不思議がっていたというくだりである。井原組の人々は、井原の独特な言葉遣いを知らず知らずのうちに使うようになっていた。井原の現場とのコミュニケーションがいかに優れていたか、井原の影響力がいかに強かったかを物語るエピソードである。