候補者の横顔に書かれた福島氏のプロフィール

強烈なパンチを古巣に繰り出す福島氏の初出馬は2003年衆院選、33歳のときだった。

水戸市の中心街
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菅直人氏が率いる民主党と小沢一郎氏が党首を務める自由党による「民由合併」で生まれた新しい民主党の候補だった。選挙区は水戸市を中心とする茨城1区。03年10月30日の朝日新聞茨城版に載った候補者の横顔にはこう書かれている。

理念持ち方向決定 福島伸享氏 民新
7月に官僚を辞めて立候補した。「霞が関を脱藩した」と表現する。/経済産業省と内閣官房で仕事をした。強く感じたのは「課題に対する決断を、政治家が官僚に丸投げしている」ということだった。「名前が出ない官僚が国を動かしている」という違和感が残った。/「国の方向性を決められるのは、選挙で選ばれた政治家だけ。だから、政治家は理念を持ち、国の方向性を打ち出すべきだ」と考える。尊敬するのは中曽根康弘元首相、小沢一郎旧自由党首ら「理念ある薫りのする政治家」だ。/立候補を決めてから、中学や高校時代の友人から「いつかはこの日が来ると思っていた」と言われた。高校時代、生徒の校歌反対運動に、逆に反対するチラシをまいていたこともあった。/大学時代はヨットに没頭し、年間200日近くを海で過ごした。趣味はアジア放浪。タイやベトナム、韓国料理などは自ら作る。ラーメンの食べ歩きも好きだという。

党員サポーターがたった6人からのスタート

福島氏が候補予定者になった時点で、選挙区である茨城1区の民主党の地方議員は、その年の統一地方選で初当選したばかりの水戸市議1人だけ、そして党から渡された党員サポーター名簿に載るのも11人だけだった。水戸に到着した初日に「11人全員にあいさつに行こう」と訪ねたが、書かれた住所に住んでいたのは6人。福島氏は言う。「野党なんて、いない選挙区だったんですよ」。