三菱化成が海外のプロジェクトに着手し始めた80年代半ば、台湾に現地法人を立ち上げるべく派遣されたのも石塚だ。現地に溶け込むための石塚流の語学習得法も、独特のものがある。

三菱化学専務執行役員 石塚博昭 いしづか・ひろあき●1950年、兵庫県生まれ。72年東京大学理学部化学科卒業、同年三菱化成工業(現・三菱化学)入社。2005年三菱エンジニアリングプラスチックス常務取締役営業本部長、07年三菱化学執行役員ポリマー本部長、09年同社常務執行役員などを経て、11年から現職。

「英語と中国語を見よう見まねで、現場にどんどん入っていきました」

石塚が台湾にいた頃、日本といえばバブル経済の中で、「海外から観察していたから、赤字事業の原因や解決策も、冷静に分析できた」と、当時を回想する。

その後、石塚は94年から07年までの13年間、子会社の三菱エンジニアリングプラスチックスで海外営業を担当する。小林も、96年から05年まで子会社「三菱化学メディア」に籍を置いていて、商品「CD-R」の原料となる「ポリカーボネート」という樹脂を扱っていた。石塚は、それを三菱系企業に限らず、メーカー各社に販売していたのだ。

コインの表と裏のような関係だった小林と石塚だが、2人が言葉を交わしたのは、「あるパーティですれ違いざまに一回だけ」という。その後、07年4月、小林は自身の社長就任のとき、石塚を子会社から、執行役員(ポリマー本部長)として三菱化学の本社に戻している。

そして石塚は、すぐさま力を発揮する。収益性の低さが問題になっていた、自身の出身母体である石油化学事業の汎用樹脂など、2500億円規模の事業撤退を実行したのだった。石塚は、こう語る。

「徹底的に現場を歩く。そしてその場で部下のやるべきことを直接指示して、仕事を進めるのが、自分のやり方です」

石塚のキャリアからは、「豊富な海外経験」「新規事業の立ち上げ」「不採算部門の撤退」「子会社での経験」などのキーワードが浮かび上がってくる。そしてこれらは、12年の4月から、三菱レイヨンを率いる越智仁にも当てはまる。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時