小林喜光は、96年に子会社の社長に就任し、約10年後にはケミカルHDの社長に駆け上がっている。長年指摘されてきた石油化学依存の体質から抜け出すために、異端の小林が社長に選ばれたのだ。企業の再生を託された登板だったが、その船出は嵐の中を行くものだった。

三菱ケミカルHD社長 小林喜光 こばやし・よしみつ●1946年、山梨県生まれ。71年東京大学理学系大学院相関理化学修士課程修了。72年へブライ大学物理化学科、73年ピサ大学化学科に留学。74年三菱化成工業(現・三菱化学)入社。96年三菱化学メディア社長、2005年本社常務執行役員などを経て、07年から現職。

社長就任から8カ月が過ぎた07年12月、三菱化学鹿島事業所のエチレンプラントで、協力会社の従業員4人が火災で亡くなる事故が起こった。その日から、小林は自宅に帰るたびに、夜回りの記者から何度も同じ質問を受けることになる。