リーマンショック時、日本電産の永守社長は一カ月間図書館に通った

日本電産社長の永守重信さんがとあるインタビューで答えていた。リーマンショックのときに、積み上げた経営ノウハウでは乗り切れないと感じたという。本当に会社が潰れるかもしれない。そう思った永守さんは、行き先を言わず、一カ月間図書館に通い続けた。そして1930年代の世界恐慌で多くの会社がつぶれるなか、業績を急回復させた企業の話を探して片っ端から読み、ひたすら考えた。経営者としての実体験の深さや豊かさが超一流である永守さんでさえも、リーマンショックという非連続な事態に遭遇したときには、読書によって時間軸と空間軸で拡張された文脈の中に自分の仕事を位置づけ、そこから有用な因果論理をつかみだそうとしているのである。

読書をするときには姿勢が大切である。本をあまり目に近づけないように、といった物理的姿勢も大切だが、心の構えはもっと大切である。著者や登場人物と対話するように読むことが何より大切だ。対話をすることによって自分との相対化が進む。ほんとうは生身の優れた人間と直接対話できればいいのだが、そういう人は遠くにいたり、忙しかったり、死んでしまっているのでなかなか叶わない。そこに相手がいないときでも、いつでもどこでもだれとでも対話をできるのが読書の絶対的な強みである。

ストーリーとしての競争戦略
[著]楠木 建
(東洋経済新報社)

先に触れた日本電産の永守さんもそうだが、センスに溢れる優れた経営者には、ほかの経営者の自伝や評伝をじっくり読む人が多い。これもまた対話である。推測であるが、そうした人は「スキル系」の本はほとんど読んでいないのではないか。ファーストリテイリング会長兼CEOの柳井正さんの座右の書は、世界最大のコングロマリット、ITTを率いたハロルド・ジェニーンや、マクドナルド創業者のレイ・クロックの自伝(いずれこの連載でも取り上げる)。こうした読書を通じた対話が、名経営者の血となり、肉となっている。

上で挙げた名経営者の経験と洞察には及ぶべくもないが、『ストーリーとしての競争戦略』は、ストーリーという視点から「筋がよい戦略」とか「筋が悪い戦略」を解読している。この本でそもそも僕が意図したことは、戦略の「筋のよさ」とは何か、優れた戦略の基準を考えるということである。筋がよいとかセンスがいいということの意味内容を理解するためには、いくつもの戦略ストーリーの名作や凡作、愚作をじっくり読み解き、そこから帰納的に優れた戦略の本質を探っていくしかない。この本を読んでも、何かのスキルが身につくわけではない。しかし、優れた戦略の基準を示すことができれば、戦略構想のセンスを磨くのに役立つ話ができるのではないかというのが僕なりの構想であった。