モテるためにはデートの場数を踏むしかない
スキルが「国語算数理科社会」の世界だとすれば、センスというのは「どうやったら異性にモテるか」というような話と限りなく近い。「こうやったらモテるようになる」という定型的な方法論は存在しない。ただし「モテる人」と「モテない人」がいることには変わりない。実際に「モテる人」を見ればすぐにわかることだが、「なぜモテるか」は人それぞれ、千差万別。モテている人にはその人に固有の理由がある。センスとはそういうものである。
スキルとセンスを混同するとロクなことがない。本来センスであることをスキルだと勘違いする。モテないという問題に直面すると、すぐに「モテるためのスキル」を手に入れようとする。雑誌を見ると「ああやったらモテる」「こうやったらモテる」という話が満載だ。まじめに全部とりいれたとする。ますますモテなくなるのは必定である。ことほど左様に、スキルとセンスはまるで違う。こうやったらうまくいくというデートの必殺技などないのである。
スキルと違って、センスは直接的には育てられない。しかし、育つ。定型的な教科書がなくても、仕事生活の中で磨くことはできる。自らセンスを磨くにはどうしたらよいのか。もっとも有効なのは、実際に経営者として戦略づくりを経験すること、そうした場数を踏むことだ。モテるようになるためにはデートの場数を踏むにこしたことはないのと同じである。