帰ってきたのは私の知ってる“あの子”ではなかった
でも現地では隊内での盗みが横行していて、自動車はパーツごとに分解されて現地の店(ドゥカン)で売りさばかれていたんです。そのお金で麻薬を……麻薬や煙草や、食べものを買うために。彼らは四六時中飢えていたんです。
テレビでエディット・ピアフの番組をやっていて、あの子と一緒に見ていたとき、
「母さん、麻薬ってどんなものだと思う?」と訊かれました。
「知らないわ」と答えましたが、それは嘘でした。そのときはもう、あの子が麻薬を吸っていないかどうか気にかけていたんです。
その気配はなかったけど、現地であの子たちが麻薬をやっていたのは確かです。
「アフガニスタンではどうだったの?」と訊いてみたことがあります。
「うるせえ!」
あの子がいない隙に、アフガニスタンから届いた手紙を読み返しました。あの子の身になにがあったのか、その真相を知りたい、理解したいと思って。でもなにも特別なことは書いてありません。草の緑が恋しいとか、雪景色のなかに立っているおばあちゃんの写真を撮って送ってほしいとか。
でもあの子がどこかおかしいのは見ていてわかったし、感覚的にも伝わってきて……。帰ってきたのは別人でした……。あれは、うちの子じゃなかった。
「軍隊に入れば立派になる」送り出したのは私だった
でも私は自らあの子を戦地に送り込んだんです。先延ばしにすることもできたのに。逞しくなってほしかった。軍隊に入ればもっと立派になる、強くなるんだって、自分にもあの子にも言い聞かせてた。アフガニスタンに行くあの子にギターを持たせて、お菓子を並べて壮行会をしました。あの子は友達を呼んで、女の子たちも来て……。私はケーキを十個も買いました。
一度だけ、アフガニスタンの話をしてくれたことがありました。夕食の前に……私がうさぎを料理していたら、台所に来たんです。ボウルの中は血だらけでした。あの子はボウルの血に指を浸して、その指を見つめました。まじまじと。そして独りごとのように言いました。
「腹をやられた奴が運ばれてきて……そいつに、撃ってくれって頼まれた……だから撃ってやった……」
指が血まみれでした……死んだばかりのうさぎの鮮やかな血で……。あの子はその指で煙草をつまみ、ベランダへ出ました。その晩は、それきりひとことも口をききませんでした。