閉塞感②1人ではなにも変えられない、という無力感

当時の上司を悪く言うつもりはまったくありません。事実、そうなのです。それだけの変革を進めるには肩書きが必要です。

売上も、従業員数も、日本一の企業であるトヨタを変える、ということの影響力は計り知れません。それは、日本の働き方を変える、ということともはや同義かもしれません。想いだけではなにもできません。つべこべ言わずに偉くなることが大事なのはわかっていました。

しかし、ぼくは知っていました。年功要素の強い評価制度の下では、偉くなるまでにあと10年、いや20年はかかることを。

ぼくは知っていました。10年、20年後、偉くなった先に待つのは、中間管理職としてさらに上の上司とメンバーの間を取り持ち、本当に自分が挑戦したいと思っていたことをぐっとがまんして働く姿であることを。

ぼくは知っていました。会社の人事制度にメスを入れようとすれば、それだけの専門性が必要になります。制度全体のコンセプトづくりはもちろん、労働組合との協議や不利益変更が発生する場合の移行措置、人事システム刷新も含むオペレーション業務の設計……。

勉強することは山のようにありました。しかし、ジョブローテーションでどこに異動させられるかわからず、社内政治も多分に絡んでくる環境では、それらを学び、人事のプロフェッショナルとして生きていくことはとてもむずかしい。

そもそも何十年も待っていたら、この変化の激しい時代において事業環境も、組織内部の環境だって大きく変わっているかもしれません。想いを胸に20年待って、それをその時代に実行しようとすれば、20年ずれた感覚で変革を実行することになってしまいます。

変えられない、という現実を変えるすべをぼくは持っていませんでした。

「もう耐えられない」同期の半分以上が辞めていった

3年目も後半に差しかかってきて、ふと周りを見渡すと10人いたはずの人事同期は、すでに半分以上が辞めていました。

「閉塞感に耐えられなくなった」

そう言って辞めていく同期たちに、ぼくはなにも言えませんでした。それでも、ぼくはあきらめたくありませんでした。なぜなら、トヨタという会社の目指す理想や大切にしていることに共感していたからです。

モビリティ(移動)を通じて社会に価値を、幸せを提供していくこと。そのために、「現地現物」で物事の原因を見極め、改善を続けていくこと。ぼくの好きなトヨタと1人ひとりの個性を重視することは、決して矛盾しないはずでした。

うだうだ言っても、自分が力をつけるしかない。そう思って、ぼくはがむしゃらに、ほかの会社の人事制度や労働関連の法律を学びました。また、大組織の変革を考えるなら統計や財務の知識もつけたいと思い、勉強を始めました。

ふと、なにかを自分が学びたいと思ったとき、トヨタの考え方もわかっている人からナレッジを共有してもらえるしくみがあったなら……。そんなことも考えましたが、社内の研修は、偉くなるために必要な階層別研修がほとんどでした。