世界の非軍事大国が突きつけられた現実

攻撃型兵器の供与を含め、米国のウクライナへの関与の仕方はのちに少しずつ変化していくのであるが、戦闘開始の頃のこの発言はウクライナのみならず、おそらく世界の非核保有国にとって、なかんずくロシアの脅威を感じている非NATO加盟国、さらには中国の脅威を感じている国々にとっても、衝撃であったに違いない。

倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)
倉井高志『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)

要するに、ロシアあるいは中国のような軍事大国から脅威を受けたとき、米国は部隊派遣によって助けることはしない、換言すれば自分たちで何とかせよ、ということを言っているのだから。このことはこれらの国々に対し、NATOのような集団防衛機構への加盟を急ぐか、あるいは自身の軍事力を強化するしかないと改めて確信させることになったであろう。

しかしながら他国から攻撃を受けたならば、まずは自分で戦えというのは特別のことを言っているのではなく、至極当然のことなのである。

問題の本質は、要するに力に対しては力で対処するしかないという単純な事実に、多くの国がはたと気づいたということである。

しかも力による現状変更は、時として全く合理的な計算なく行なわれることがある。今回のロシア軍による軍事侵攻について、多くの識者が合理的計算の上に立てばウクライナ全土の制圧は目指さないだろうと考えていたが、プーチン大統領の判断は異なっていた。この点、当のウクライナも間違っていたかもしれない。

実際、この事実は人類の歴史を見れば明らかなのであるが、多くの人はこの問題を直視することなく現在の相対的な安定を享受することに慣れてしまっていた。

「衛星国」の犠牲の上に成り立っていた平和

ウクライナが直面している問題を地政学的観点から見れば、大国と大国あるいは国家ブロックの狭間に位置する国の安全は、いかに確保されるのかという問題である。

冷戦時代、東ヨーロッパ諸国はソ連の「衛星国」となって、客観的にはソ連の「緩衝地帯」としての役割を果たしていた。これにより第二次大戦後の欧州は確かに安定し、大規模な戦争は起こらなかった。しかしながら、その実態はこれら「衛星国」の犠牲の上に成り立った安定であったのである。

東ヨーロッパ諸国は自ら好んで「衛星国」になったわけではない。彼らがこれを本来望んでいなかったことは、ハンガリー動乱、プラハの春、さらには1989年のベルリンの壁崩壊の経緯を見れば明らかである。