スター選手に履いてもらうためにやったこと
【ルーベンシュタイン】オレゴン大学には、伝説的なトラック競技のスター選手、スティーブ・プリフォンテーンがいました。あなたは彼と親しい関係を築いていきましたね。どうやってナイキのシューズを履いてもらったのでしょう?
【ナイト】使ってもらえるように努力して、努力して、そしてまた努力しました。プリフォンテーンはそれまでアディダスしか履きませんでしたからね。彼はオレゴン州のユージーンにいました。私たちはそのユージーンに小さなオフィスを構え、そのオフィスを運営していた男が彼と信頼関係を築き、なんとかナイキに乗り換えさせたんです。我々にとって、彼はナイキを履いた最初の優れたランナーでした。
【ルーベンシュタイン】あなたは他にも選手を探していきます。それはどれくらい大変な仕事でしたか? シューズを履いてもらうためにお金を払わなければならなかったのか、それともナイキが気に入って、自然とそうなったのでしょうか?
【ナイト】みんな気に入って、履いてくれました。
【ルーベンシュタイン】本当ですか?
【ナイト】いや、嘘です。製品が気に入ればそれを身に着けてくれますが、彼らは我々だけでなく、どんなメーカーに対しても推薦料を求めてきます。これは当然です。プリ(スティーブ・プリフォンテーンのこと)以外ですぐに思い出すのは、1996年のアトランタオリンピックのマイケル・ジョンソンでしょう。彼は金色のスパイクを履いてくれたので、かなり話題になりました。
ゴルフ用品、スポーツウェア、カジュアルウェアへ
【ルーベンシュタイン】タイガー・ウッズもいましたね。彼がまだそれほど有名ではなかったころから契約を結んでいました。彼を説得するのは難しかったですか?
【ナイト】タイガー・ウッズね――彼は最初からすごかった。確か15歳から20歳までの6年間でしたか、全米ジュニア・アマチュア選手権を3連覇、そのあとで全米アマチュア選手権も3連覇しています。ときどきポートランドでプレーしていて、いつも父親と一緒にランチに招待していましたよ。契約するまで、そんなことをだいたい3年ほど続けていました。
【ルーベンシュタイン】契約後は、ナイキのシューズを独占的に履いていましたね。
このころからゴルフ用具の製作を手掛け始めましたが、今はそのビジネスから撤退されました。これはシューズに専念しようという意味でしょうか?
【ナイト】答えは簡単。この20年、ゴルフ用品やボールの販売は赤字続きだったからです。来年もこの方針に変わりはありません。