製造委託先を変えて、自分たちで製造するように

【ルーベンシュタイン】それは良かった。日本のタイガー社と袂を分かったあとで、ご自分の会社の経営に専念されるようになったわけですね。あなたはご自分でシューズのデザインをされたのですか、それともどんな形のシューズになるのか確認する側だったのでしょうか?

【ナイト】それを聞いて、ジョン・F・ケネディの逸話を思い出しましたよ。どうやってヒーローになったのか聞かれたとき、彼はこう答えたと言います。『簡単だよ、あいつらが私の船を沈めてくれたからさ(だから仲間を助けてヒーローになれたんだ)』と。

タイガー社は我々に、『合意書になんて書いてあろうが、そちらが会社の簿価の51パーセントを売却するか、それとも我々が他に販売会社を設定し直すか、そのどちらかだ』という新たな提案を突きつけてきたのです。だからこそ私たちは、これを機に製造委託先を変えるべきだという結論に至りました。私たちは急いでいました。最初のシューズは東京のオフィスで、週末いっぱいかけて作り上げましたよ。

「アディダス」「プーマ」が、参入を止めなかったワケ

【ルーベンシュタイン】良いシューズを履けば、速く走れるものですか? あるいはそれほどの違いはないのでしょうか?

【ナイト】シューズは重要な要素です。1マイル競争では軽ければ軽いほど良く、シューズはタイムに影響します。あくまでひとつの譬えですが、ドレスシューズを履いて1マイル競争に臨んでも、スパイクを履いたときより速く走れることはまずありません。

昔の話ですが、オレゴン大学で走っていたころは、まだキャンバス地のトレーニングシューズが主流で、6マイルも走れば、戻ってくるころには足は血だらけでした。これは問題でしたね。

【ルーベンシュタイン】ナイキがスタートしたとき、ランニングシューズのシェアはドイツ勢が、つまりアディダスとプーマが占めていたわけですが、彼らはあなたがたの参入を快く迎えてくれましたか? それともビジネスから閉め出そうとしたのでしょうか?

【ナイト】それほど気にしていないようでしたね。気づいたときにはもう遅かったのでしょう。言ってみれば我々の方が忍び寄っていったというところでしょうか。