粉ミルクを与えるのが「先進的で合理的」だった1970年代
以前、私が病院に勤務していたとき、妊娠中の女性たちに「赤ちゃんが生まれてから気をつけてほしいこと」などをお話しする機会があり、質疑応答もしていました。ある日、一人の妊婦さんから「私はお腹の中にいる子供が生まれたら、母乳を止める薬を飲んで、粉ミルクだけで育てたいんです。母乳育児をすると胸の形がくずれると聞くし、粉ミルクは栄養たっぷりですから」と言われ、内心「1970年代の考え方? また反対側に揺り戻しがきたの?」と驚いてしまいました。そのときには、すでに粉ミルクよりも母乳がいいと言われていたからです。
粉ミルクは1917年に初めて国内で作られ、以降は改良を重ねながら、たくさんの母子を助けました。一方で母乳育児率は減少していき、第2次ベビーブームの1970年代に、粉ミルクの消費量はピークを迎えます。当時は子供の数が多かったこと、高度経済成長期には新しいものが注目を集めたこと、消費は美徳だと考えられていた時代の名残があったことなどが原因だったのではないでしょうか。赤ちゃんに粉ミルクを与えることは、母乳を与えるよりも先進的で合理的、栄養面でも優れていて、しかも母親の体型をよりよく維持できると思われていたのです。
母乳には粉ミルクにない利点があり、母親にもメリットがある
ところが、その後、母乳には粉ミルクにない利点が多くあることがわかり、見直されました。母乳には免疫グロブリン、サイトカイン、成長因子といったさまざまな免疫物質が含まれているため、免疫機能が未熟な赤ちゃんにとって感染症予防に役立ちます。その効果は、衛生状態のよくない発展途上国だけでなく、先進国の中産階級においても約3倍も入院のリスクが下がるほど。また母乳は赤ちゃんの消化吸収能力や腎機能に最も適しています。しかも母乳は驚くことにオーダーメイドで、例えば早産児のお母さんの母乳には、早産児が必要とする成分が豊富に含まれているのです。
さらに母乳育児は、母親側にもメリットがあります。乳首に刺激が加えられることでオキシトシンというホルモンが分泌され、子宮の回復が促されるだけでなく、月経の再開を遅らせます。さらに母乳育児中に食事をとりすぎなければ、自然と体重が減少していくでしょう。
前述の女性は、おそらく自分の母親世代の会話から「粉ミルクのほうがいい」と思いこんでしまっていたのだと思います。子供にとっても母親にとっても、母乳育児はメリットが多いと伝えたところ、「母乳もあげようと思う」と話してくれました。