形容詞に「です」をつけると「幼稚」と見られる

「高いです」のように形容詞に「です」をつけることは、どうでしょうか? 前記の文化審議会答申は、「抵抗を感じる人もあろうが、すでにかなりの人が許容するようになってきている」としています。

しかし、果たして本当にそうでしょうか?

人によって受け止め方は違うでしょうが、私は「抵抗」というより、「幼稚だ」と感じます。そう感じている人は私に限らないことに留意してください。

若者に広がる「バイト敬語」

先に触れた「バイト敬語」ですが、これは「敬語」と呼ばれていますが、これは敬語の問題ではありません。間違った日本語の問題です。

若い人たちの間では普通の言葉使いなのでしょうが、一般日本社会との間で、摩擦現象を起こしています。

それだけではありません。最近では、通常の仕事の場面にも進出し、市民権を獲得しつつあります。こうなってくると、見過ごすわけにはいきません。日本語の乱れに、強い危機感を覚えます。

バイト敬語①:「になります」

「こちらが、ハンバーガーになります」
➡正しくは「こちらが、ハンバーガーでございます」。

「なります」とは、Aが変化してBになることを言います。したがって、この場合には、「目の前にあるのは、まだハンバーガーではないが、そのうちハンバーガーになるだろう」という意味になります。

野口悠紀雄『「超」書く技術』(プレジデント社)
野口悠紀雄『「超」書く技術』(プレジデント社)

しかし、こんなことを言っているのではないでしょう。

こう言っている人の心理状態を分析すると、「でございます」と断定すると強すぎるので、「こんなものがハンバーガーか」と言われた場合に逃げ道を作るために、曖昧表現「になります」を使っているのであろうと推察されます。

最近では、「こちら、会議の資料になります」などという表現が、仕事上のメールにも進出してきました。これも、差し出しているものが本当に資料と言えるか否かに関する疑惑の念がもたらした表現でしょう。

すなわち、目の前にあるのは、「資料ではなく、資料の卵。ないしは資料の原材料に過ぎない」と言っているのです。