「バナナ型」と呼ばれる死の起源神話がある

このような価値観の対立は、神話にも見られる。典型的な例が「バナナ型」と呼ばれる死の起源神話である。インドネシアの話だ。

太古にバナナの木と石が、人間がどのようであるべきかについて激しい言い争いをした。石は言った。「人間は石と同じ外見を持ち、石のように硬くなければならない。人間はただ右半分だけを持ち、手も足も目も耳も1つだけでよい。そして不死であるべきだ」。するとバナナはこう言い返した。「人間はバナナのように、手も足も目も耳も2つずつ持ち、バナナのように子を生まなければならない」。言い争いが高じて、怒った石がバナナの木に飛びかかって打ち砕いた。しかし次の日には、そのバナナの木の子供たちが同じ場所に生えていて、その中の一番上の子供が、石と同じ論争をした。

不老不死だが家族を持たない石か、死ぬけれど子を持つバナナか

このようなことが何度か繰り返されて、ある時新しいバナナの木の一番上の子供が、断崖の縁に生えて、石に向かって「この争いは、どちらかが勝つまで終わらないぞ」と叫んだ。怒った石はバナナに飛びかかったが狙いを外して、深い谷底へ落ちてしまった。バナナたちは大喜びで、「そこからは飛び上がれないだろう。われわれの勝ちだ」と言った。すると石は、「いいだろう。人間はバナナのようになるといい。しかし、その代わりに、バナナのように死ななければならないぞ」と言った。(大林太良、伊藤清司、吉田敦彦、松村一男編『世界神話事典 創世神話と英雄伝説』角川ソフィア文庫、2012年、148〜149頁を参照し要約した)

この神話の説くところによると、石は、それ自体不老不死で変わることなく生き続ける。そのかわりに、家族を持つことはない。もしも個体として不死であり、なおかつ子孫を持つことができたら、生き物が増えすぎて世界の秩序が成り立たないからだ。

一方、バナナは死ななければならない。しかし子を持つことができ、家族を成すことができる。個体として永久不滅か、個体としては死ぬが子を成すことで種として存続するか、どちらかなのだ。きわめて高度に練り上げられた神話の論理であると言える。