がん患者の多数を占める固形がんの場合、原発巣の摘出手術からおおむね5年が経過して、他臓器や遠隔リンパ節などに再発が認められなければ「がんは治った」と判定されます。一方、手術後に再発した場合、あるいは最初にがんが見つかった時点で転移が認められた場合には「がんは治らない」と判定されます。

後者の場合、「治らない」という判定は事実上の死の宣告にあたること、すなわち「治らない」は「死ぬ」と同義です。

突き詰めて言うならば、標準がん治療には「治る」か「治らない(死ぬ)」かの二択、2つの結論しか存在していない、ということになるのです。

点滴を付けたまま廊下を歩く
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小康状態のまま天寿を全うする場合もある

ところが、天寿がんの存在は、「治る」と「治らない」の間にはもう1つの概念、それらの間に位置する概念があることを教えています。

では、「治る」と「治らない」の間にある概念とはどのようなものなのでしょうか。

そこで浮上してくるのが「寛解」というキーワードです。

寛解は「根本的な治癒には至らないものの、病勢が進行せずに安定している状態」のことです。IV期の固形がんを例に取れば、転移巣が致死的な臓器不全を起こすほどには増悪せずに小康状態を保っている状態です。

この点は転移巣が1つであっても複数であっても同じで、寛解状態にある限り、患者ががんそのものによって死に至ることはありません。

同様に、天寿がんが超高齢者を苦痛死に至らしめることはほとんどありません。前述したように、がんにかかっていたにもかかわらず、本人も家族も医師もそうとは気づかぬまま、老衰死のように安らかに亡くなっていくのです。

これを寛解という言葉を使って言い換えれば「がんが寛解状態をずっと保ったまま、老衰死のように天寿を全うした」ということになります。

実は、標準がん治療にも寛解という概念がないわけではありません。

例えば、延命のための抗がん剤治療でも、がんが消失した場合の完全奏効(CR=コンプリート・レスポンス)、あるいはがんが縮小した場合の部分奏効(PR=パーシャル・レスポンス)という概念が存在します。

根本的な治癒は無理だが、悪化することもない

しかし、すでに指摘したように、ほとんどの場合、がんは抗がん剤に対する耐性を獲得し、かつ、猛烈な勢いでリバウンドしてきます。つまり、抗がん剤治療における完全奏効や部分奏効は一時的な寛解状態にすぎないのです。

寛解状態が一時的なもので終わってしまうのでは意味がありません。標準がん治療の限界を乗り越える全く新しいがん治療の地平を切り拓くには、天寿がんのように寛解状態がずっと続く状態を実現させる必要があるからです。