相手の本当の心情は分かりようがないのに…

さてわたしたちは、相手に悪意や卑劣な意志があればムカつくのは当然だ。ことさら悪意や卑劣な意志がなくても、高慢で怠惰で鈍感な精神のありよう(つまり①と②)はやはり許せない。

ただし本当に相手は高慢で怠惰で鈍感なのかどうか。その裁定はなかなか難しいものです。おしなべてクレーマーたちは雄弁かつ理路整然と相手が「高慢で怠惰で鈍感」である証拠を述べ立て、しかも「無視したり、小手先の対応で誤魔化そうとした」と主張します。

なるほど筋はそれなりに通っている。だからクレーマーは主張を繰り返すたびに自分は正しい(すなわち相手は許せない)という思いを強くしていく。ますます声高になっていく。

けれども、かれらの主張を構成する証拠のそれぞれは、十中八九思い込みのバイアスを加えられています。

口元の笑みは親しみや愛想を示すサインではなく嘲りのサインであり、言い間違いは単純なミスではなく邪悪な思考の反映であり、相手を待たせるのは相応の理由があろうと本質的には相手を軽視した振る舞いであるといった具合に。

別な可能性については、平然とそれを切り捨てる。なぜ切り捨てるのかと尋ねても、「そんなことは一目瞭然、誰にだって分かるのだから考慮に値しない」と答える。

その答こそ「高慢で怠惰で鈍感」なんじゃないでしょうか、なんて指摘したらまさに火にガソリンでしょうね。

クレーマーとそうではない人の決定的な違い

いずれにせよ、わたしたちがムカつくときもクレーマーが抗議をするときも、相手は失礼で卑怯だと感じている。ナメられ、ないがしろにされたと感じている。

こうした気分に駆られると、落としどころがなくなりますね。自分で自分をなだめすかそうとしても、怒りは収まらない。それこそ相手が土下座でもしない限りは気が済まない状態になってしまう。

土下座をするビジネスマン
写真=iStock.com/Tomwang112
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もっとも、クレーマーは相手が本当に土下座したらそこで勝利宣言を出すか、それでもまだ怒っているかのどちらかでしょうね。

健全な精神の持ち主であったら、土下座なんかされたらむしろ困惑したり「ムカついている自分」に対して自己嫌悪を生じるでしょう。

この違いはまことに大きいし病理性の有無にかかわってくると思われます。

といった次第で、ムカつくこと自体は珍しくもないし異常ではない。が、ムカつくのもほどほどにしないとクレーマーと内面が同じになってしまう。

相手が土下座している光景を想い浮かべる

ムカついた場合は、相手が土下座している光景を思い描いてみればよいのではないでしょうか。

十分リアルに思い描ければ、「もういい、消え失せろ」と言いたくなるでしょう。これ以上は、怒っていること自体にうんざりしてくる。

失礼や卑怯は、精神におけるほぼ治癒不能の性癖であると捉えておいたほうが適切だと思います。