罪を憎んで人を憎まず、とはならない

罪を憎んで人を憎まず、といった言葉がありますよね。孔子が言ったのでしたっけ。まあそういった寛容な精神も分からないでもありませんが、ムカついたときには完全に逆ですね。

人を憎んで罪を憎まず、さもなければ罪も人も憎むぞ状態になってしまう。まさに「お前、絶対に許さんぞ」モードとなってしまう。

それというのも、やはり「失礼」「卑怯」といった具合に加害者の人間性を生々しく感じ取ってしまうところがムカつき案件には備わっているからでしょう。

クレーマーの心情を分析してみると…

ムカつく気持ちを考察するには、クレーマーの心情を参考にするとよろしいかもしれません。

そんなことを申しますと、ムカついた経験を必ずやお持ちであろう読者諸氏は「何を言っているんだ。オレはクレーマーなんかになったことはないぞ。あんな気色の悪い奴等と一緒にするな」と反論されるでしょう。

その心境は分かりますが、クレーマーは迷惑で「うざい」存在であるのみならず、わたしたちの心の一部を戯画化した存在でもあることを思い出しましょう。

つまり彼らの気持ちを探ってみますと、わたしたちと共通したものが少なからずある。ただし、わたしたちはそれを人前で開陳したりはしません。でも彼らは平気で開陳する。だから戯画化された存在ということになる。

なぜクレーマーは、些細なことで激怒するのか

なぜクレーマーは、あんな些細なことで怒り心頭に発し粘着するのでしょうか。

彼らの心情において重要な要素を書き出してみます。

①自分は小馬鹿にされているのではないか。侮られているのではないか?
②こちらの気持ち、こちらの事情を汲み取ろうとしなかった相手への憤慨。
③無視したり、小手先の対応で誤魔化そうという相手の態度(あくまでもクレーマー側にはそのように映ったということで、真偽は別問題)への義憤。
④こんな不快な気分にさせられたオレは、相手に何をしても許されるだけの権利がある、という被害者意識および(歪んだ)権利意識。
⑤いったん怒りに火が点くと、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といった具合に、怒りがあれよあれよとエスカレートしていく傾向。

これらのうち①と②が、「失礼だろ!」に相当します。③は「卑怯じゃないか」に相当する。そして④⑤がクレーマーに顕著な病理ということになります(おそらくパーソナリティーにおける病理に根差している)。