日本の経済政策に影響を与えている2人の論客

それは、安倍・菅政権時代の経済対策会議の同じメンバーであった竹中平蔵氏とデービッド・アトキンソン氏です。この二人は一緒くたに「市場を絶対神とし、市場原理のためなら全てを破壊する」側の人間だと一般的には思われていて、「反市場」的な日本のネット論壇やSNSでの議論では、どちらも諸悪の根源の如く嫌われています。

しかし、私や私のクライアントの中小企業経営者などの間で一致した意見として、この両者には「かなり大きな違い」があります。2人とも「全てを市場に任せて社会を破壊する悪」だと思われているが、実は両者には大きな違いがある……。この「違い」を説明することで、「2つの極論」の間にある、曖昧だが大事な理想の「具体的な中身」を詰めていくことができるはずです。

そして、岸田政権が掲げる「新しい資本主義」という漠然とした理想論の「中身を詰める」ために私が考えているのは、「竹中平蔵路線ではなくデービッド・アトキンソン路線を選び、さらにそれをアトキンソン氏が考えているよりも100倍丁寧にやる」という方向性です。

どういうことでしょうか? 具体的に見ていきましょう。

「右」からも「左」からも批判されていた竹中平蔵

竹中平蔵氏は、まさに日本における市場原理主義(いわゆる“ネオリベ”)の象徴的存在です。「ネオリベ」とは、「ネオ・リベラリズム(新自由主義)」の略で、非常に単純化して言えば、過去20~30年の間共産主義諸国の消滅とともに世界中を覆った「とにかく市場に全部任せればいい」型の経済運営の発想のことです。

グローバルな通貨と技術の概念
写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです

もともと世界史的に見れば、共産主義が終わる1980年代末以降に、アメリカではレーガン大統領、イギリスではサッチャー首相、ドイツではシュレーダー首相といったリーダーが現れて、非常に「市場原理主義」的な改革を行った一連の流れを指します。そして、日本における「ネオリベ路線」の代表的政権だった小泉政権時代に活躍したのが竹中平蔵氏です。

小泉政権が終わってその直接的な影響力を失った以降も、徹底した「市場原理主義」的な主張を常に展開しては、いわゆる「左」の人からもいわゆる「右」の人からも批判され、過去20年間の日本経済の不調の“戦犯”のような扱いを受けています。実際の竹中平蔵氏本人がどうなのかはともあれ、日本の「政治」関係のネット論壇においては、この「偶像としての竹中平蔵」ほど嫌われている存在はいないと言っていいほどだと思います。