まるでジャズのようだった「いいとも」放送後のトーク

タモリはジャズの魅力を「目の前で『音楽ができ上がっていく』、その現場に居合わせられる」ことだと語っている。

「その場ででき上がったライブも、その場かぎりで、終わり。次の時にはまた違うって音楽はね、ジャズだけ」[6]

またタモリは「いいとも」のいわゆる「放送終了後のトーク」を、ジャズのセッションになぞらえている。

「いいとも」では生放送終了後、レギュラー出演者が30分強のフリートークを行い、その一部は「増刊号」で放送される。後年はあらかじめテーマが設けられるようになったが、それまでは完全な「即興」だった。

現場に立ち会っている興奮

「本当にその場でしかできないものを見てるから、観客もノってくるんですよ。ようするに『現場に立ち会ってる』興奮なんです」「お笑いでもジャズでも、人となにかやるからにはやっぱり自分も変わりたいし、相手も変わってほしいなと思ってるんです。やっぱり、そこがいちばん、おもしろいところなんですよ。現場に立ち会ってるという、生な感じが」[6]

戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)
戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)

それを生放送で実践し、絶大な人気を博したのが明石家さんまとのトークだった。台本はもちろん、打ち合わせすらなく、小さな丸テーブルを挟んでふたりが即興でしゃべり合うだけのこのコーナーは、84年に「タモリ・さんまの雑談コーナー」としてスタート。

以後「日本一の最低男」「日本一のホラ吹き野郎!」「もう大人なんだから」と名前のみを変えながら、11年間という長期にわたって継続された。

「日本で初めて『雑談』というものをテレビでやった」とタモリは胸を張る。脱線を繰り返す彼らのトークは激しくスウィングした。「その場、一回限り」の空間を共同で作り上げていく興奮。演者はもちろん、客席もその熱に巻き込まれずにはいられない。

[1]『SWITCH』スイッチ・パブリッシング(09・7)
[2]『ザ・テレビ人間』菅野拓也/朝日新聞社(86)
[3]『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー(00)
[4]『広告批評』マドラ出版(81・6)
[5]『ことばを磨く18の対話』加賀美幸子・編/日本放送出版協会(02)
[6]「こんどの『JAZZ』、どうする?」「ほぼ日刊イトイ新聞」(07)

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