ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻についてのテレビ演説で「非軍事化と非ナチ化を目指す」と語っている。なぜウクライナを第二次世界大戦時のナチス・ドイツにたとえたのか。それは「過去の歴史を武器に侵攻を正当化する」というのが、プーチン大統領の得意なやり方だからだ。アメリカのブルッキングス研究所の研究員らの共著『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』(新潮社)から紹介する――。
クリミア危機が起きた2014年にプーチンが行ったこと
プーチンにとって、2014年は記念すべきイベントが集結する年だった。第一次世界大戦勃発から100周年、第二次世界大戦勃発から75周年。そして、レニングラード包囲戦の終結やノルマンディ上陸作戦など、第二次世界大戦の終戦につながった画期的な出来事から70周年……ピックアップするネタには事欠かなかった。
14年1月、プーチンは年明け早々行動に乗り出し、レニングラード包囲戦の終結を記念する式典で花輪を手向けた。
彼は包囲戦との個人的なつながり(「これは私自身の家族史に刻まれた出来事だ」)やレニングラード市民(彼の両親も含む)の払った犠牲について強調した。
ロシアの国営テレビは、ナチスのソ連侵攻をテーマとした映画やドキュメンタリーをひっきりなしに放映した。
「新たなファシスト」という“詭弁”
そうした映像のなかで語られる事実の数々は、プーチンやクレムリンがキエフに誕生した「新たなファシスト」の脅威となぜ戦わなければいけないのか、その理由を説明するものだった。
第二次世界大戦の記念日を利用してウクライナ作戦やクリミア併合を正当化する物語を紡ぎ出すために、プーチンは手持ちの道具をさらに磨き上げる必要があった。
それまで彼は、ウクライナ人とロシア人を単一の民族としてひとくくりにしていたが、今度は両者を引き離さなければならなかった。