取材中に見せられた宴会メニューに愕然
「渡邉さんが議員を辞めて経営に戻らないと、もう融資できない」
参議院議員になって2年半、議員会館に銀行の方々が次々にやってきて、こう告げられたときほど衝撃を受けたことはありませんでした。
ワタミ代表取締役会長兼社長CEO。1959年、神奈川県生まれ。明治大学商学部卒。84年に有限会社渡美商事(現・ワタミ)を創業。2013年に参議院選挙に当選し議員に。19年議員退任後、経営に復帰。21年より現職。
ワタミの役職をすべて退いて参議院議員になったのは2013年です。就任当初、私は全社員を集めて「経営には100%戻らない」と宣言しました。自分が会社に残ると、新しい経営陣が「後には渡邉がいる」と甘えてしまう。すっぱり断ち切ることで自立してもらうことが宣言の狙いでした。
実際、それから2年半はノータッチでした。ところが経営が急激に悪化して、15年3月期に128億円の赤字を計上。銀行の方々が議員会館に詰めかける事態になったのです。
振り返ると予兆はありました。議員活動で忙しくしているとき、ある取材で「今のワタミのメニューを見てほしい」と頼まれました。12月の宴会メニューでしたが、パッと見たところ価格に釣り合っているように思えない。その場にいた関係者に原価率を聞いたら、驚くほど低かった。自分が見ていたときにはありえない設定であり、愕然としました。
なぜこんなことになっていたのか。後を託した社員たちは、過去の遺産で食いつないでいて、新しいことを何もやってきませんでした。その結果、その年は4月から売り上げが低下。飲食業は12月がかきいれどきです。経営陣はそれまでの売り上げ減の影響を取り戻すため、粗利益率を極端に高くして帳尻を合わせようとしたのです。
その事実を聞いても、「戻らない」宣言をした以上は経営への介入を控えていました。ただ、銀行から融資を止めると言われたら話は別です。私は26歳のとき社員の幸せをテーマに起業しました。創業オーナーとして、会社を潰して社員を路頭に迷わせるわけにはいきません。まずは私個人が持っている株式をすべて担保に差し出しましたが、それでも財務上の危機を脱するには足りませんでした。
銀行が望むように、議員を辞めて経営に復帰する選択肢もあったでしょう。ただ、6年間の任期の途中で議員を辞職すれば、選挙で投票してくれた有権者を裏切ることになります。
そこで決断したのが介護事業の売却でした。介護事業は「自分の親が施設にいたらどうしてもらいたいか」と考えて始めました。以前はよく施設回りをしていて、みなさんから我が子のように私をかわいがってもらえた。本当に思い入れの強い事業です。
しかし、背に腹は代えられなかった。私たちと同じ姿勢で入居者様7000人を守ってもらうことを条件に譲渡先を探して、共感してくれた損保ジャパン日本興亜ホールディングスと話を詰めていきました。
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