エリツィン大統領から引き継がれた思想
歴史を武器として使うことによって、プーチンはウクライナの民族間の緊張や恐怖に薪をくべた。次に彼が訴えたのは、たとえどこに住んでいようとも、ロシア民族とロシア語話者を攻撃から守るのが国家の権利と義務であるということだった。
この権利は、1990年代初頭にボリス・エリツィン大統領が初めて主張したもので、のちにロシアの軍事政策へと正式に盛り込まれた。
プーチンはこうした義務と、意のままに操ることのできる法律の力を駆使し、2014年5月25日に予定されていたウクライナ大統領選挙に先駆けて、クリミア半島を実効支配した。
プーチンがこのときに道具として用いたのは、クリミア半島へのロシア黒海艦隊の長期駐留を認めるウクライナとの二国間条約、ロシアの支援を求めるヤヌコーヴィチ大統領や地方当局の要望、ロシア議会の決議だった。
これらの道具は、軍や民間の建物やインフラを守る治安部隊の活動を法的に援護するものだった。そして、3月16日に慌てて行われたクリミアのロシア併合に関する住民投票が、今回の行動を正当化する最後の要素となった。