体験を共有でき、勉強も仕事も完結する魅力

それならSNSでいいではないかと指摘することもできるでしょう。しかし、今のところSNSは生活の一部でしかありません。SNSが好きな人は(授業中でもツイートをやめられないツイ廃さんはたくさんいます)もっともっとSNSで時間を消費したいと考えているでしょう。SNSで人は情報を共有しましたが、メタバースでは体験を共有することになります。SNSを楽しめる人には、サービスへの強い誘因です。

岡嶋裕史『メタバースとは何か』(光文社)
岡嶋裕史『メタバースとは何か』(光文社新書)

実際にSNSに時間を使いすぎて、生活のすべを失くしてしまう人もいますが、多くの人はバランス感覚があるのでリアルに戻って勉強や仕事をして、能力を獲得し賃金を得ます。

でも、それらが仮想現実で完結するのであれば、そこに魅力を見いだし勉強や仕事もそれ以外の楽しみも仮想現実でこなしてしまう利用者は増大するでしょう。すでに友だちと、リアルではなく、ゲーム内などで「集まる」ことは利用者の中では一般化しつつありますが、それが拡大するわけです。

もっと極端なことを言えば、メタバースを提供する企業に食わせてもらってもいいのです。たとえば、AIの議論をするとき、よく「AIに仕事を奪われる」というテーマが出てきます。あれは何がまずいのでしょうか?

メタバース企業に仕事を奪われてもウィンウィンになる

ぼくは子どものころ、「将来は機械やコンピュータがいやなことはやってくれるよ。好きなことや楽しいことで生きていける未来があるよ」といったメッセージに触れていました。仕事なんてほとんどの人にとって面倒なものでしょうし、少なくとも積極的に大喜びで取り組むものではないと思います。でも、いざAIが仕事を肩代わりしてくれるようになると「仕事を奪われる」と恐怖するのです。

人のアイデンティティと仕事の関係は脇に置くとして、仕事を奪われても、収入を奪われなければ、多くの人は満足すると思います。AI企業やメタバース企業にがんがん仕事を奪ってもらって、そこで得た収益を仕事を奪われた人に分配する未来があってもいいと思います。富の再分配機能を営利企業が担っても別に構いません。実現性はともかくとして、しこたま儲けたメタバース企業にベーシックインカムを構築してもらうのもアリでしょう。

メタバースは最初はゲームとコミュニケーションの形をとってスタートするでしょうが、最終的には生活全般の包摂を目指すことになります。利用者が滞在してくれる時間の最大化は企業にとってビジネスチャンスの増大以外の何ものでもありませんし、そこで暮らす利用者は自分に最適化された空間の中でリアルよりずっと快適に過ごせます。ウィンウィンなのです。

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