「中年の危機」を乗り越えて
「哲学の夢」をあきらめ、クォンタム・ファンドで大成功した1978年、50歳の手前で家庭生活に行き詰まったソロスは3人の子どもを置いて離婚し、一人暮らしを始めた。
「セントラルパーク・サウスから数ブロックのところに小さな家具つきアパートを借り、家からはタクシーに乗って、服を詰めた数個のスーツケースと何冊かの本を運んだ。車はもっていなかった」というのが、人生をやり直そうと決めた“大富豪”の新しい暮らしだった。
その直後、ソロスは近くのテニスコートで23歳の女性と出会い、親しくなる。ソロスから、自分がウォール街で大成功した男で、株式市場で大金を儲けたという話を聞いたときのことを、彼女は「絶対ペテン師だと思ったわ、小銭も持っていない男だってね」と述べた。数年後、彼女はこの年の離れた“ペテン師”と結婚することになる。
「中年の危機」を乗り越え、世界最大のヘッジファンドを育て、莫大な富を得たソロスは、慈善事業に本腰を入れるため、クォンタム・ファンドを23歳年下のファンドマネージャー、スタンリー・ドッケンミラーに任せることにした。
1992年、ドッケンミラーはイングランド銀行がポンドの為替相場を支え切れなくなると予想した。この賭けについてソロスと話しあったときのことを、ドッケンミラーはこう回想する。
「彼(ソロス)には自分がなぜポンドが崩壊すると考えるのか、その理由をいろいろ話し、自分が投入するつもりの額も話した。叱責はされなかったが、それに近いことは言われたよ。つまりだな、君がそう確信しているなら、なぜたった20億~30億ドル程度でおさめるんだ、というわけだよ」
クォンタム・ファンドはイギリスポンド100億ドル分を空売りし、わずか24時間で10億ドル以上の利益をあげた。こうしてソロスは、「イングランド銀行を打ち負かした男」の異名を得ることになる。
14歳の少年は、ずっと1944年のブダペストで体験した“わくわく感”を追い求めていたのだ。