日本では難関大学への入学を目指す「受験戦争」が毎年繰り広げられている。京都大学前総長の山極寿一さんは「多くの受験生が入りたい大学ではなく偏差値に合う大学を選ぶためミスマッチが起きている」という――。

※本稿は、山極寿一『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

大学の教室風景
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留学生獲得競争に出遅れている日本

高等教育はいま、大きな転換期にある。世界の大学の学生数はこの10年間で1.5倍以上に伸び、もはや大学は少数のエリートを養成する教育機関ではなくなった。また、世界経済の大きな変動を受けて各国で国家財政が悪化し、国の資金で高等教育を担うことが困難になり、大学システムの変革を余儀なくされるようになった。

国によっては授業料を大幅に値上げし、それを学生ローンにして就職後に給料から天引きする制度を作ったり、企業の投資や個人の寄付によって大学が自己資金を集めたりして、その運用利益で大学の運営費を調達するようになった。

米国などいくつかの国では企業と同じ手法が大学の経営に適用され、資金の運用を図る専門家が雇用され、大学の評判を高めて富裕層の子弟や優秀な学生を世界から集めるようになった。学生は国を超えて動き、留学生獲得競争が大学間で熾烈しれつになってきている。

この競争に日本は完全に出遅れている。2008年に立てた留学生30万人計画は2020年までに達成されたが、そのうち約9万人は日本語学校の学生で、高等教育を受けているとはとても言えない。また、欧米の大学には20%を超える25歳以上(相当数が社会人)の学生がいるのに、日本の大学で学ぶ社会人はまだ2%にも満たないのが現状である。日本の研究力や社会力を養うためには、留学生や社会人学生の大幅な増加を求めて高等教育の規模や質の向上を目指すべきだろう。

また、知識集約型社会の到来を受けて、政府はビッグデータの解析とAIを使いこなせるICT人材を、年間25万人育成することが必要との見解を示した。現在、いくつかの大学でデータ・サイエンスを学べる学部、研究科が新設され、カリキュラムが整えられつつある。

数年前に文科省は、こういった時代の要請に合った分野の増設と引き換えに、人文・社会学系の学部や研究科の縮小や転換を大学に求めた。しかし、これは大きな誤りで、これらの学問分野の重要性は減るどころかむしろ増している。それよりも理系と文系の枠を超える総合的な視野を持った学問と学びの創出が急務である。