体育祭や文化祭を楽しんでいるのは文化的中位層
まず特別活動のなかでも特に存在感のある「学校行事」から見ていきたい。体育祭や文化祭を楽しんでいるのは、どのような子どもだろうか。
中国地方の大規模公立中学校で2006年に行われた調査では、「今年の体育大会は楽しかった」という項目に「あてはまる」と答えた生徒の割合を出身家庭の文化階層別に見たところ、階層上位層が72.5%、中位層が80.7%、低位層62.0%となり、中位層と低位層の間に20ポイント近い差があったという。
「体育大会を通して友人となかよくなれた」についても、階層上位層72.5%、中位層74.6%に対して、低位層は62.4%と10ポイント以上低くなっていた(長谷川2009:138※)。
つまり少なくとも調査対象となった公立中学校では、文化的中位層・高位層・低位層の順に充実した体育祭を過ごす傾向が強かったのである。
都立高校9校の生徒を対象にして2007年に行われた質問紙調査も見ておこう。当該調査で体育祭に対して積極的な傾向を有していたのは男女ともに「運動部員」であり、くわえて、男子の場合は「クラス委員経験者」、女子の場合は「向上心をかき立てられるような友人の数の多い者」などにも積極的な傾向が見られた。
文化祭の場合は男女ともに「実技科目が得意な者」が積極性を有する傾向にあり、男子の場合は「文化部員」「クラスの友人数の多い者」、女子の場合は「成績の高い者」「運動部員」「向上心をかき立てられるような友人の数の多い者」などがそれにくわわった(鈴木2018※)。
これらの調査結果は、社会学者ピエール・ブルデューの資本の3類型(文化資本・経済資本・社会関係資本)を思考の補助線にするとわかりやすい。
ごく単純化していえば、文化資本とは芸術・スポーツ・数学などの知識や作法、経済資本とはお金やブランド物などの財産、社会関係資本とはコネや仲間などの人間関係を指す。
体育祭では、日々の鍛錬を通じて文化資本の一種である「スポーツの技能・センス」を蓄積している「運動部員」が当然有利になる。
文化祭では、音楽や美術、技術家庭などの「実技科目が得意な者」に活躍の場が多く用意されており、普段クラスであまり目立たない美術部やパソコン部の生徒が質の高い作品や看板などを仕上げて同級生の度肝を抜いたりするのも、まさに文化資本の賜物である。
「体育祭は勉強が不得意な貧困層が活躍できる機会」ではない
だが、祝祭を充実したものにするためには、単に良い成果を残すだけでなく、苦楽をともにし、努力や結果を認めてくれる友人の存在も重要になる。
例えば、体育祭で「クラス委員経験者」が積極的な傾向を持っているのも、リーダーに選出されるだけの社会関係資本を所有していることと無関係ではないだろう。
前述の公立中学校調査では、文化的高位層と比べて中位層のほうが体育祭の充実度が高い傾向にあったが、それは当該中学校で文化的中位層がクラスの人間関係の中心を占めていたからかもしれない。どの層が多数派を占めるかは学校や行事の性質によって異なるだろう(『現場で使える教育社会学』第8章)。
これらの結果を読み解くと生まれや育ちによって祝祭格差があることが見えてくる。
日本では家庭の文化資本と経済資本はかなりの程度一致することが知られており(近藤2011など※)、「体育祭は勉強が不得意な貧困層が活躍できる機会」というわけではないことになる。
どちらかといえば、富裕層の子どものほうが体育祭でも文化祭でも充実感を得やすく、貧困層の子どもは居心地の悪い思いをしがちなのである。