※ 本稿は、中村高康、松岡亮二編著『現場で使える教育社会学』(ミネルヴァ書房)の一部を再編集したものです。
学校行事と部活が学校教育における「二大花形」活動
もし「小中高それぞれの一番よい思い出を1つずつ挙げよ」と言われたら、あなたは何を思い浮かべるだろう。
ある大学の教育学部1年生を対象とした調査によると、1位は小・中・高いずれの段階においても修学旅行・文化祭・体育祭などの「学校行事」(小50.0%、中47.2%、高40.7%)で、2位が小学校は「休み時間・放課後」(12.0%)、中学・高校は「部活動」(中32.4%、高38.9%)だった。理由として挙げられたのは「楽しさ」や「達成感」「所属感・一体感」などだったという(佐々木編2014:18※)。
現役小中学生に聞いた調査でも、教育活動別に「とても好き」と答えた者の割合を見ると、やはり上位は「学校行事」(小61.9%、中44.4%)と「クラブ活動/部活動」(小66.7%、中43.1%)であり、「体育」(小58.2%、中33.2%)「給食の時間」(小45.5%、中29.3%)がそれに続く。「主要5教科」(国数英社理)で一番人気の「理科」が小29.0%、中19.0%であるのと比べて「学校行事」「部活動」の人気度は実に2倍以上である(ベネッセ教育総合研究所2005:18※)。
これらの調査結果が示すのは、多くの子どもにとって「特別活動(学校行事・学級活動・生徒会活動等の総称)」と「部活動」こそが学校教育の「二大花形」であり「影の主役」であるということではないだろうか。
修学旅行で夜遅くまで語りあい、文化祭や体育祭で日頃の成果を発表し、生徒会選挙で清き一票を投じ、部活動の試合で生徒同士抱き合って涙を流す──そこには普段の授業にない熱狂や連帯がある。
理念的に言えば「特別活動」や「部活動」は殺伐とした受験戦争に訪れるひとときの休息であり、ルーティン化された学校の日常に活力を与える「祝祭」の場であるはずなのだ。
学校の「祝祭」に潜む格差の正体とは
だが「ちょっと待て」と言いたくなる読者もいるはずだ。
「何が祝祭だ。部活は体罰まみれで3年間ずっと球拾い。体育祭は『陽キャ』の独擅場だったし生徒会選挙は空虚な人気投票だった……」
冒頭の小中学生調査でも「学校行事」や「部活動」を「好きではない」と回答した子どもが数%程度、つまり各クラスに数名は存在する。筆者も運動会前夜にはてるてる坊主を逆さ吊りにした口である。翌日、万国旗のはためく秋晴れの空の下で一日の大半を砂いじりに費やしながら筆者は誓った……「教育社会学者になろう」と。
学校には「祝祭」を文字通りのものとして楽しめる者とそうでない者の格差、いわば「祝祭格差」が隠然と存在するのである。