国内では戦国時代の英雄とされる豊臣秀吉。だが、海外の文献をみると評判は散々だ。朝鮮の儒学者は「容貌が醜い」と記し、宣教師ルイス・フロイスは女性関係について手厳しく書いている。歴史学者の渡邊大門さんは「その根底には2度の朝鮮出兵や、キリスト教の布教を禁じた伴天連追放令に対する怒りがある」という――。

※本稿は、渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

大阪城
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海外における秀吉の評判はかなり悪い

秀吉が社会の最底辺から、関白そして天下人へと上り詰めた稀有けうな人物なのは周知のことである。かつて、秀吉は農民の子だったといわれていたが、それすらも疑わしいのではないかと指摘されている。父のことなどもはっきりとしない。

私たちが知る少年時代の秀吉は、いずれも二次史料に書かれた不確かなものである。いずれにしても、秀吉が裕福な家庭の家柄でなかったのはたしかである。

本書の内容に即して、秀吉が行ったことで特筆すべきは、天正十五年(一五八七)の伴天連追放令の発布、そして文禄元年(一五九二)にはじまる文禄・慶長の役である。そのような理由からか、海外における秀吉の評判は散々なものだった。