宣教師フロイスが驚いた秀吉の野望と肉欲
一説によると、その秀吉は女好きだったという。秀吉の女好きに関しては、フロイス『日本史』が次のように書いている。
(秀吉は)齢すでに五十を過ぎていながら、肉欲と不品行においてきわめて放縦に振舞い、野望と肉欲が、彼から正常な判断力を奪い取ったかに思われた。
この極悪の欲情は、彼においては止まるところを知らず、その全身を支配していた。彼は政庁内に大身たちの若い娘を三百名も留めているのみならず、訪れて行く種々の城に、また多数の娘たちを置いていた。
当時の五十代は老人だったので、フロイスは秀吉の精力ぶりに驚いたのであろう。また、当時のヨーロッパでは、一夫一婦制が基本だった。そのような事情と相俟って、フロイスには秀吉が不純で肉欲に溺れた野蛮人のように思えたのだ。では、秀吉が囲った女性はどのように集められたのか、『日本史』の続きを確認しよう。
彼(秀吉)がそうしたすべての諸国を訪れる際に、主な目的の一つとしたのは見目麗しい乙女を探し出すことであった。彼の権力は絶大であったから、その意に逆らう者とてはなく、彼は、国主や君侯、貴族、平民たちの娘たちをば、なんら恥じることも恐れることもなく、またその親たちが流す多くの涙を完全に無視した上で収奪した。
このように記したうえで、秀吉の性格が尊大であり、この悪癖が度を過ぎていること、そして「彼(秀吉)は自分の行為がいかに賤しく不正で卑劣であるかにぜんぜん気付かぬばかりか、これを自慢し、誇りとし、その残忍きわまる悪癖が満悦し命令するままに振舞って楽しんでいた」と結んでいる。
ここまで記した秀吉の「黒歴史」は、ほとんど日本側の史料には見られない。史実か否か、にわかに判断できないのも事実である。フロイスがここまで秀吉をこき下ろしたのには、もちろん訳がある。
それは、秀吉がキリスト教の布教に理解がなかったからだが、むろん秀吉にも言い分はある。
当時、布教とセットでポルトガルの商人が来日した。彼らは貴重な文物を日本にもたらしたが、一方で日本人奴隷を売買していた。秀吉には、どうしてもそれが許せなかった。