※本稿は、渡邊大門『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
中国・日本で数多くの淫行を行ったポルトガル商人
一五八三年のこと、ポルトガル船がマカオを出発しインドへ向かったが、マラッカに近いジョホール沖で座礁した。
この報告を耳にした宣教師のコウトは、ポルトガル商人が日本や中国で行った放逸な行為に原因があると考え、それゆえに神罰が下ったと手厳しく評価した。ポルトガル商人が行った「放逸な行為」は、次のように記述されている(岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』引用史料より)。
この明らかな大罪は、神からも明白に大罰を加えられたのであった。それゆえ、彼らに神の厳しい力を恐れさせるため、中国・日本の航海中に多数の物資を積載した船を失わせ、もってこれを知らしめようとしたのだ。
また、中国・日本方面では、ほかの国々よりもポルトガル人の淫靡な行為がはるかに多いので、神はそこに数度の台風によりそれらの者を威嚇・懲罰し、その恐ろしい悪天候により怒りを十分に示そうとしたことは疑いない。
ポルトガル商人は少女を捕らえて妾とし、船室で「破廉恥な行為」に及んだ。「破廉恥な行為」については、もはや言うまでもないだろう。ポルトガル商人は神をも恐れぬ行為に及んだので、神から天罰を下されたのである。
天罰とは、船を座礁させることにより、船舶に積んだ貴重な品々を無駄にするというものだった。しかもポルトガル商人は、ほかの国々の人々よりも、中国・日本で数多くの淫行に及んだという。
ポルトガル商人が破廉恥な行為に及んだ原因の一つには、その大半が独身者であったという指摘がある。ただ、仮に妻帯者であっても、妻を同伴して航海することは不可能に違いない。彼らは寄港地で女性奴隷を買い、己の性的な欲求を満たしていたのである。
彼らの破廉恥行為は、後年に至っても問題視された。しかし、ポルトガル商人が購入した奴隷の少女と破廉恥な行為に及んだり、渡航中に彼女らを船室に連れ込んだりしたことは、決して止むことがなかったのである。
要するに、女性の奴隷の場合は、労働力の問題ではなく、ポルトガル商人の性的欲求を満たす目的という側面があったのだ。