アジアの日本が他国をアジアと呼ぶ違和感

「もともとアジアが好きだったんですけど、特に中国には幼稚園の頃から興味があったんです。大人になるにつれて、日本もアジアの中に含まれるのに、他国のことをアジアと呼ぶのはなぜか? という違和感が出てきて。自分もアジア人だけれども、アジアに憧れがあった。大学は日芸だったんですけど、その時代、周りはアメリカやフランスに旅行に行っていた。でも自分はタイ、香港に行っていました。

自分はバックパッカーではないけど、アジアにはよく行っていました。タイに行ったときは、日本にはない“アジア”があり、それが非日常的で面白かったんです。その一方、台湾に行ったときは、ちょっと違う感情があった。日本の地方にいるような感覚で、海外旅行をしている感覚にはなりませんでした。例えばサブカル系のお店には、『POPEYE』系の雑誌があって、聞こえる音楽は中国語だけど日本に居るような感覚。

外に出るとオートバイとか夜市があって、日本にはないアジアがあった。自分は緩急にやられて、日常と非日常が絶妙に混在していることに気付いたんです。僕は、旅行を自分の生活に入れていく人間ではなかったんだけど、その中でも台湾は、すごく日常の延長線上にあるんですね。それで台湾は居心地がいいなと感じました」

台湾は「どこか似ているけど違う国」

初めて台湾に行ったのは、2010年。台湾ブームのはるか昔だ。

「その頃の台湾って、〈61NOTE〉――東さんという人がやっているカフェがあるんですけど、そこが日本人で台湾に住んでいるカルチャー系の人や、日本のカルチャーを求めてやってくる台湾人のたまり場だったんです。そこがきっかけで、出会ったのが〈下北沢世代〉という独立系書店で、当時、その字面にびっくりして。繁体字だから、なんとなく読めるんだけど。

誠品書店でも、「草食系音楽家・星野源VS雑食系音楽家ハナレグミ」みたいなPOPがあってなんとなくわかるけど、そうかな? とか。日本と台湾はどことなくベースとなっているカルチャーは一緒なんだけど、アウトプットにズレがあって、それが漢字も一緒で、中国語を見ると日本語よりもどことなく大げさというか、そういう“わかるけどズレがある”ことに、あっ! と気付くときがすごく面白くて。韓国に行ったときの全くわからない感じとか、香港やタイに行ったときの“別世界”とは違っていて、“近いけど、でも別世界”というようなところが好きになりました」

2016年11月、桃園市・中壢のナイトマーケット
写真=iStock.com/Jui-Chi Chan
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わかる気がした。僕はそれをパラレルワールドと表現した。どこか似ているんだけど違う国。

「まさにパラレルワールドです。僕がやっている『LIP』というカルチャーマガジンを再開していこうと思ったのはその後で、でもそういう世界観を取り上げている雑誌はなくて、当時は女性誌で「週末台湾」をテーマに観光や旅行目線で台湾は紹介されていたけれども、僕が出会ったカルチャー目線の魅力的な人はあまり取り上げられていなかった。

その中でたまっている人間も紹介されていない。そのような人と話すと好きな音楽や好きなカルチャーがあって、やっぱり、あー! と思うことが多くて。でもやっぱりアウトプットしているものは、いい意味でズレがあった。

そのあとで僕は雑誌で“台日系カルチャー”というキャッチコピーからやっていくんですけど、まさに僕が“台日系カルチャー”で何が言いかったかというと、“共有しているカルチャーの中でのズレの編集”で、そのズレが面白くて、その後、雑誌だけではなくてそれ以外でも、コーディネートやプロデュースをしてきたんですけど、何をやってきたかというと、それは“ズレの編集”です」