台湾発のタピオカミルクティーが日本で爆発的ブームをもたらした背景は何なのか。フリーライターの神田桂一さんは「着席してお茶する文化だった日本で、歩きながら飲むというライフスタイルが輸入された。同じアジアの日本がようやく本当のアジア文化圏に入ってきた」という――。

※本稿は、神田桂一『台湾対抗文化紀行』(晶文社)の一部を再編集したものです。

タピオカミルクティーを持つ女性
写真=iStock.com/PonyWang
※写真はイメージです

日本人から見た台湾とは

いよいよ僕と台湾の物語も終わりに近づいてきた。最後に僕が取材しようと思ったのは、日本人から台湾はどんなふうに見えているのか、そしてどう思っているのかということ。よく台湾を旅行して帰ってきた人は、台湾人は親切だったとか、台湾は日本みたいで懐かしい風景が広がっていたとか言いがちだけど、もっと本質的なところが知りたいし、イメージのひとり歩きがあるならちゃんとした実像を掴みたい。

そこで僕はひらめいた。長年、台湾を行き来していて、僕の中国語の老師でもある、田中佑典くんに聞いてみればいいんじゃないかと。台湾に通い始めて、7年。僕は2019年になってやっと本腰を入れて中国語を学ぶ決意をした。直接中国語で取材したくなったからだ。たとえその道のりが遠く険しいものだとしても。ちょうど田中くんが「カルチャーゴガク」という中国語の語学講座を開いていたので、連絡をとって申し込むことにしたのだ。

ある日、授業が終わったあとに僕は切り出した。それは、田中くんと歩きながら、僕と本書について話をしているときだった。どんな本なんですか、と田中くんが尋ねてきたのだ。

「えっと、旅行記の要素もありつつ、台湾のアイデンティティの問題にも触れて、それは台湾人からだけではなく、中国人側からの意見も聞いて……」
「それは絶対そのほうがいいですね」

田中くんは言った。そしてこう続けたのだ。

「日本人の意見はないんですか?」

僕はこれ幸いとばかりにこう切り出した。

「うーん、部分的には、日本人にも取材しているけど、日本人の意見の章は今のところないかな。田中くん、取材受けてよ(笑)」

田中くんは、ちょっと驚きつつも一呼吸おいて話しだした。

「いいですよ、僕でよければ!」

なんと快諾してくれたのだった。

後日、授業が終わったあと、そのまま、授業が行われた新宿の喫茶店でこのインタビューは行われた。梅雨には入ったものの、それを忘れさせるような、初夏のような日差しの強い昼下がりだった。