私自身、印象的な経験がある。ある大手メーカーと協力して、脳を心地よく刺激するコンテンツをユーザーが作って公開できるウェブサイトを設置した。みんなの競作を通して、人気が出るのではないかと期待は大きかった。

ところが、オープンしてみると、なんだか様子がおかしい。作品の数の伸びが遅い。試しに自分で作ってみたら、驚いたことに、すぐには公開されないのだ。どういうことかと問い合わせてみると、なんと、担当者が1つひとつ内容をチェックして、確認してから公開するようにしているのだという。

ふむふむ。著作権の侵害、不適切なコンテンツ……。事前にチェックせねば。(PIXTA=写真)

それはおかしいだろうと指摘すると、かえって怪訝な顔をされた。著作権が侵害されたり、不適切なコンテンツがアップロードされる可能性があるから、仕方がないとの返答。内心あきれかえってしまった。

原則はユーザーに任せてオープンとし、問題が指摘されたら事後的に対処すれば足りるとするアメリカのやり方。一方、名のある大手企業が設置するウェブサイトほど、事前に内容のチェックをしなければならぬという日本流の思考法。どちらがインターネット時代に適応しているか、改めて言うまでもない。

一般に、日本の法律解釈は条文主義であり、英米法におけるような「カモン・センス」(常識)に基づく柔軟な運用がしにくい。インターネットという新しい文明を前にして、日本人が立ちすくんでいる理由の1つがここにある。

日本の社会は、果たしてグローバル化に適応できるのか。法やルールといった「インフラ」の支えがあって初めてイノベーションが成り立つことを、私たちはもう一度確認するべきだろう。

(PIXTA=写真)