両親が他界し、手元に残っていた現金は7万円

タンスの引き出しのなかには、伊藤さんの両親の写真もあった。日本庭園をバックに微笑む母と、その肩に手を添える父。旅行中の一コマが切り取られていた。両親は二人とも、実家に戻ってきた伊藤さんを何も言わずに受け入れてくれたという。

伊藤さんは写真を見つめながら、親の年金を頼りに暮らすことはつらかったと明かした。

年金手帳
写真=iStock.com/itasun
※写真はイメージです

「ひもじいもんですよ、それは。一番やってはいけないことをやっているじゃないですか。親に金を無心するなんて。自分は最低なことをやってるなと。でも、それをやるか、あとは死ぬしかないじゃないですか」

だが、3年前に父親ががんで他界。母親も4カ月前に亡くなってしまった。生活の糧を失うと、たちまち困窮してしまった。手元に残っていたのは7万円。3カ月で底を突き、追い詰められていたところ、石橋さんらの支援とつながった。

「どうして、こういう人生になってしまったんだろう」

伊藤さんは、幾度となく同じ言葉を繰り返した。やりきれない感情が詰まった重い響きだった。私は、もし戻れるとしたら、いつに戻りたいかと尋ねた。

「このときですね。この頃が一番よかった」

そう言うと、一枚の写真を見せてくれた。家族5人で撮った、七五三の写真だった。17年前、伊藤さんが43歳のときに地元の写真館で撮影したものだという。子どもたちは羽織袴はおりはかま、伊藤さんと奥さんはスーツ姿で、前途洋々な人生を歩んでいるように見える。この頃に、いったい何かあったのだろうか。

「社会を頼りたくない、関わりたくないんですよね」

「んー、話せませんね、言いたくないです。それは。人には言いたくないことがあるでしょ」

今から17年前の出来事を、伊藤さんは頑なに語ろうとしなかった。ひきこもるようになった最大の理由が、そこにあるのだろうか。伊藤さんの人生は、仕事を辞めたことで一変してしまった。そのことと何か関係があるのかもしれない。それとも、想像がつかないような出来事があったのだろうか。

取材はまだ始まったばかりだった。これから伊藤さんとの付き合いを重ねるなかで、いつか教えてもらえたらありがたいなと思い、次に会う約束をして、お宅を後にした。

4カ月前、汗だくになった坂道を再び上っていた。伊藤さんへの取材のためだ。

まだ聞けていないことがあった。17年前に何があったのか。そして、どうしてひきこもってしまったのか。伊藤さんは以前と変わらず、家からほとんど出ない生活を送っていた。自宅を訪ねるのは、これで4度目になる。

この日は、取材中に亡くなった伸一さんの話をするつもりでいた。なぜ私たちがこうした取材をしているのか、より深く知ってもらいたいとの思いからだ。誰にも助けを求めずに、一人、衰弱死してしまった男性がいる。その話を聞いた伊藤さんは、「うーん、そうですか……」と言ったきり、黙り込んでしまった。

扇風機の羽根が回る音だけが響く。伊藤さんはエアコンを使わない。

「私には、その人の気持ちがわかります」

伊藤さんがおもむろに口を開いた。

「社会を頼りたくない、関わりたくないんですよね。私も、親が死んじゃって、お金が底を突いた時点で、この世からいなくなろうと思っていたんで」

なぜ、そう思うようになったのか。伊藤さんは、過去のつらい経験を語り始めた。