目標としてきた事務職への転用試験に合格したが…
人生の転機は、やはり17年前にあった。事の発端は、職場での「栄転」だったという。伊藤さんが43歳のときのことである。もともとごみ収集の現場作業員をしていたが、事務職への転用試験に挑戦し、見事合格したのだ。長年、目標としてきたことだった。
ごみ収集の仕事に不満はなかったが、一番上の子が年頃になると、父親がごみを集めていると周囲に茶化されるようになっていたからだ。しかし、そこからが苦難の始まりだった。
「戸惑いましたよ。だってパソコンもできなかったので。現場とのギャップが大きすぎて、仕事が何もできないんですよ」
2階の自室には、その頃の努力の痕跡が残されていた。パソコン教室に通ったときの記録。半年間にわたって、毎日のように仕事終わりに通っていた。当時のノートには、几帳面な文字が並んでいる。板書を書き写したものを、家でもう一度清書していたそうだ。大事な箇所が赤や青で丁寧に色分けされたノートを改めて見返しながら、伊藤さんはか細い声でつぶやいた。
「これだけやっても、ついていけなかったんです。できて当たり前だと思われることができない。これが一番つらかったですね。情けないでしょ。年下の人にいろいろ聞くと、『なんだ、こんなのもわからないのか』って馬鹿にされて」
43歳の新人に、手を差し伸べる同僚はいなかったという。自宅でも勉強を重ねたが、職場での作業は遅れがちだった。その分、残業も常態化していったそうだ。非正規雇用の職員と能力を比較され、給料泥棒と揶揄されたという。伊藤さんは、次第に精神的に追い詰められていった。
「もう社会に必要ないんです。生きていたってしょうがない」
1年が過ぎた頃から、抗うつ剤を服用するようになる。それでも伊藤さんは、部署を変えながら9年間踏ん張った。子どものためにも仕事を辞めるわけにはいかなかったと語った。だが、52歳のときに限界となる。職場に行こうとすると、吐き気や腹痛に襲われ、体がいうことをきかなくなった。
きっかけは、仕事のミスを上司から大声で叱責されたことだったと振り返った。
「職場にいてもね、必要とされてないな。私って、もう必要ないのかなって。もう悔しいを通り越して、悲しくなっちゃって。なんで自分はできないのかな、どうしようもないなって。自分を責めましたよ。責めました……」
適応障害だった。伊藤さんは、退職せざるを得なくなった。その後、再就職を目指したが、50歳を過ぎた人材を欲しがる会社は見つからない。社縁を失い、家族との縁も切れた伊藤さんには、助けを求められるような相手もいなかったという。
「全部なくなっちゃったんですよ。もう社会に必要ないんです。生きていたってしょうがないなと思いながら、ここまできてしまいました」
自分は社会に必要ない。助けを求めようとしなかったのは、社会に傷つけられ、生きることを諦めた結果だった。人知れず、自宅にひきこもっている人の多くも、同じような思いを抱えているのだろうか。「閉ざされた扉」の向こう側にこうした声があることを、私はこのときまで知らなかった。