地球環境問題が、神や自然が人類に与えた課題であるとするならば、私はそのトライアルに対して徹底的に自分なりのフィードバックをしてやろうと思う。自分の存在に対する悔しさをバネに、とんでもない崖っぷちに立っている地球に対して、私なりに何かをしてやろうと思う。
変わるとは、こういうことだ。生きることに真剣に向き合っていれば、人間は自ずと変わっていく存在なのだ。
とはいえ、会社という組織に所属する以上、自分の思う通りには動けないという言い訳を用意している人もいるに違いない。だが、そんなことはまったくない。
私はこれまでの会社生活の中で、やりたくないことにはNOを言い続け、やりたいことには手を挙げ続けてきた。なぜそれができたかと言えば、捨てることができるからだ。そして、捨てられない男は、ダメな男であると私は思っている。
入社当初、私は石油精製のための触媒の研究を担当していた。当時、石油からナフサなど一連の石油製品を精製する技術は化学会社の主流であり花形だ。だが、研究を10年近く続けるうちに、この分野に未来はないと感じるようになった。
そこで研究所の部長に、もう触媒の研究はやりたくないと直訴して、当時、黎明期を迎えていた光ディスクの研究をやらせてほしいと頼み込んだ。部長の返事は、「1年待ってくれ」。そこで私はほぼ1年間、図書館にこもって触媒ではなく光ディスクの勉強に没頭した。そして翌年から、実際に光ディスクの基礎研究を開始したのである。
当時は、ソニーやTDKなどの優良企業がこの分野に先鞭をつけており、なんで化学屋がこんなことを、と馬鹿にされたものだが、ともかく10年間、光ディスクの研究開発に打ち込んだ。そして比較的早い時期に、CD-Rなどの製品化に漕ぎつけることができたのである。
その後の10年は、本社で光ディスク事業の育成に邁進した(後に、三菱化学メディアの社長に就任)。これはこれで競争が激しく地獄のような事業だったが、いずれにせよ私は、大きな組織に所属しながらも、自分の仕事は自分で主体的に決めてきたという自負がある。
自分の人生を主体的に決めるためには、捨てる勇気を持つことが不可欠だ。技術屋は往々にして自分が手がけた技術を愛するあまり、その技術に将来性がないことが見通せていても、捨てることができない。そして、目の前のものしか愛せない人間は、変わることができない。
自分が手がけている仕事の将来価値を冷徹な知性と論理によって吟味し、見限るべきものはなるべく早く見限り、過去にこだわらない。そして、自分はこうしたい、これがやりたいということを強く前面に押し出していく。そういう人間だけが、変われるのである。
ダーウィンの進化論ではないが、強いものが生き残るのではなく、状況に合わせて変化できたものだけが生き残るのだ。会社が自分の変化を許容しないのならば、会社を捨てればいいだけのことである。