未完で終わった俳優・勝新太郎
勝新太郎が掴みかけた栄光は露と消えた。この年、59歳。再起はできるのか。
「もうパンツは、はかない」「総理大臣の代わりはいるが、勝新太郎の代わりはいない」などの名言・迷言が伝えられ、ワイドショーや週刊誌のネタとなった。
豪放磊落で破天荒な生き方をした「役者バカ」としての言動が伝説となり、拡散していった。
しかし、俳優としての勝新を使おうという、度胸のあるプロデューサーや監督はいない。
1990年公開の『浪人街』が最後の映画となり、1997年6月20日、勝新太郎は67年の生涯を閉じた。
生涯に出演した映画は193(カメオ1作含む)だった。そのうち、大映倒産の1971年までが178本で、残りの26年間で撮ったのは15本に過ぎない。テレビの『座頭市』や舞台の仕事もある。
名声というか知名度は高かったし、みんなから愛されたが、映画俳優としては不遇だったと言える。
まぎれもなく天才だったが、映画黄金時代には、ひたすらプログラムピクチャーに出るしかなく、名作と出合えなかった。
最大の当たり役・座頭市は勝新の代名詞となったが、それ以外の作品を生めなかった。
同世代のライバル・市川雷蔵はその短い生涯ゆえに「未完の生涯」ではあるのだが、多くの役を演じ、演技も評価され賞も得た。死後も人気はあり、俳優人生は完璧なまでに完成している。
67歳まで生きた勝新太郎の俳優人生のほうが、「未完」だったように思えてならない。