取り返しのつかない事故が発生

シナリオなどあってないようなもので、その場での勝新の閃きで撮っていく方法についていけるスタッフなど、日本中にもはやいない。

そんな環境だったことも背景にあり、12月26日、広島県福山市でのロケで事故が起きた。

殺陣のリハーサル中、勝新の息子でこれが映画デビューとなる奥村雄大が持っていた日本刀が、子分役の俳優・加藤の首に触れた。

助監督が真剣を渡し、それが真剣であることを伝えなかったことでの事故だった。

山の中だったので救急車を呼んだのでは間に合わない。病院へ運び込むが、すでに4000ccも出血していた。

29日に、真剣を使ったことでの事故と発表されると、非難轟々となった。監督でもある勝新への批判が高まる。

映画製作を中止すべきとの声も上がった。公開を危ぶむ見方もあった。

撮影は事故の起きた立ち回りのシーンを残すだけだった。勝は俳優の家族に頭を下げ、撮影を続行して映画を完成させることが決まった。

年が明けて1989年1月7日、昭和天皇が亡くなった。

座頭市』の公開は2月4日と決まっているが、まだ撮影は終わらない。11日、負傷した俳優・加藤幸雄は亡くなった。18日、すべての撮影は終わった。

座頭市ロケ真剣事故
写真=時事通信フォト
1989年1月11日、昨年12月26日の映画『座頭市』の立ち回りシーン撮影中、真剣が首に刺さり入院していた俳優が入院先で死去したのを受け、記者会見する勝新太郎監督(岡山市の岡山東急ホテル)

徹夜で編集して、31日に完成させ、予定どおり、2月4日に『座頭市』は公開された。

皮肉にも事故のことが大々的に報じられたのがいい宣伝となり、封切られると、「座頭市」シリーズで最大の観客動員と配給収入となった。

昭和戦後のヒーローのひとり座頭市は平成になっても人気があった。

松竹は第二弾の製作を決めた。しかし、松竹は配給するだけで製作費は勝新が自分で集めなければならない。

パンツの中に隠したマリファナとコカイン

勝新は『座頭市』で復活したかに見えた。

1989年には『浪人街』(黒木和雄監督)に出演し、90年2月に封切られる予定だった。

大きなテレビコマーシャルの仕事も来た。

キリンビールが「キリンラガービール」の大規模なキャンペーンをすることになり、1990年1月から一年間、ドラマ仕立てのコマーシャルフィルムを放映するという企画だ。

作・演出はつかこうへい、ある一家の日常を描くもので、勝が父、その後妻に松坂慶子、長男に安藤輝彦、長女に手塚理美、その夫に国広富之、次女に富田靖子、その夫に藤井尚之が起用された。このキャンペーンが始まれば、勝の姿が毎日テレビに映ることになる。

この時点では、本人も周囲もまだまだこれからも映画に出るつもりだった。

1990年が明けると、勝新はハワイへ静養に出かけた。16日にハワイに着くと、空港の税関で、マリファナとコカインをパンツの中に隠し持っていたとして、麻薬密輸入の容疑で逮捕された。

放映開始されたキリンビールのコマーシャルは1日で打ち切りとなった。『浪人街』は2月公開予定だったが、配給する松竹は延期を決めた(8月18日に公開)。

松竹は「座頭市」から手を引いた。