世界で活躍する留学生の呼び戻しを進めているが…

こうした勢いを生んだのは、経済力を背景に進めたグローバル戦略だ。中国政府は、米国の大学などへ留学生を送り出し、能力、成果、人脈を築かせた上で、自国へ呼び戻す政策を進めている。成長後、故郷の海に戻ってくる海亀の生態になぞらえ、「海亀政策」と呼ばれる。

2008年以降は、呼び戻しにいっそう力を入れ、中国だけでなく、海外の優秀な研究者も積極的に呼び込んでいる。その結果、海外との共同研究や共著論文が増え、国際的評価を向上させることにつながっている。

だが、ノーベル賞を獲得するための大事なものが中国には欠けている、と専門家は口をそろえる。それは、他の人がやらないようなテーマに挑む独創性だ。論文の数や引用数だけで測れるものではない。独創性の源となるユニークな発想を研究者が追求する自由を、中国政府がどこまで保証できるか。そこが問題だ。

好奇心だけで研究できず、論文は二番煎じ…

林さんは「中国では論文数や引用数が、研究者の出世や研究費に直結する。論文を書かないと職を追われたり、研究費ももらえなくなったりする。下手をしたら一生うだつが上がらない。独創的研究は論文に書けるような成果がすぐに出ない可能性があり、リスクが大きい。だから研究者は確実に論文を書けるテーマに取り組む」と指摘する。真鍋さんのように「好奇心」に突き動かされて研究を続けるのは難しい。

例えば、ノーベル賞候補の1人、日本の細野秀雄・東京工業大栄誉教授が、それまでの常識を覆す「鉄系の超伝導物質」を発見すると、中国でも一斉に研究が始まり、温度など実験条件をいろいろと変えて取り組む。論文は確実に書けるが、二番煎じ、三番煎じであり、ノーベル賞が求めるものとは異なる。「政治や行政はお金をつけさえすれば、業績が上がると考えるが、研究とはそういうものではない」と林さんは苦言を呈する。

博士号をもたない「隠れ人材」を見つけられるか

研究成果を出してからノーベル賞に決まるまでは、20年~30年かかることが多いと言われる。真鍋さんは50年以上かかっている。成果がきちんと認められたり、実際に役立つものに結実したりするには時間を要するからだ。そうした「時差」に加え、指標でとらえることができなかった、思いがけない受賞者が登場することもある。

日本でも例がある。2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、完全にノーマークの状態だった。田中さんは企業の技術者で、受賞が決まった際の肩書は「主任」。大学院へも進学していない。分析装置の開発という、研究を支える仕事をしていた。「主役」というより「脇役」のイメージだ。国内外が仰天し、「サラリーマンが受賞」と報じられた。