妄想「現代版 紺屋高尾」
では、小室圭さんが「紺屋高尾」のクライマックスの場面をリアルに演じてみたらどうなるのでしょうか。
小室さんが眞子さまに訴えます。
「3年、待ってもらえますか? 一生懸命勉強して、異国の地で法の番人、法の専門家目指して、かならず安定した職業を得てきます。3年経ったら必ず迎えに来ます。
あ、そうでした、そんなの無理ですよね。あなたは引く手あまたの存在だ。3年も待てるわけないですよね。どこかの大企業の御曹司と一緒になるほうが似合うお方ですもんね。そうか、3年経てば、あなたにはもう会えないのですね。もうさよなら、なんですね。もう会えないのか……。
いや、会えないなんてことはありません。お互い元気でやってりゃ、この広い地球の下、いや、ニューヨークの空の下、ばったり出くわすことがあるかもしれません。その時、あなたが社長夫人で、僕がホームレス救済の炊き出しを手伝う弁護士という形かもしれません。
もしそんなふうに再会したとしても、木で鼻をくくったように横を向かないで、嘘でもいいからにっこり笑って、『圭さん、元気?』と一言言ってもらえませんか?
その一言だけで僕は這いつくばって生きてゆけます。母親および自分の経歴も含めてもろもろ、ウソがあったことを心よりお詫びします。でも、あなたに会えて本当によかった。ありがとうございました。さようなら」。
いやあ、書いていてジーンとするぐらいのいいシーンですね。
会いたいのに会えない間、これに近いようなやり取りがお二人の間ではあったのではと想像します。
おめでとうございます! どうか末永くお幸せに
この真摯なセリフで眞子さまが皇室という高貴なお立場を離れることを決意されたのではと、一落語家として妄想する次第です。
落語は天皇家にも代々愛され続けてきました。昭和天皇は落語がお好きで昭和の大名人・三遊亭圓生師匠を招いて落語を楽しんだというのは有名な話ですし、今上天皇も秋篠宮さまも落語好きとお聞きしたこともあります。落語が人間の本質を突く芸術であることを皆様方ご理解されているのでしょう。
「紺屋高尾」に免じて、このお二人の幸せな門出を、一国民として祝福させていただきたく存じます。
おめでとうございます! 末永くお幸せに!