社員に伝えた「一緒にやってください」

マズイと気づいても後の祭りである。決意表明の直後の9月6日には、主要取引先と全地域の店長が集まる「経営計画発表会」が控えていた。重雄会長は経営計画方針書をしたためてから亡くなっていたので、幹部は「それを読み上げるだけでいいんじゃないか」と久美さんに勧めた。しかし久美さんは首肯せず、集まった人々に向けて「私の考え」をハッキリと伝えることにこだわった。この内容が、不謹慎かもしれないが、面白い。

店舗に貼られている「やまちゃんかわら版通信 てばさ記」は、専業主婦時代から書き続けている。手にしているのは、2016年9月1日発行の、重雄さん急性直後のもの(撮影=山本典利)
店舗に貼られている「山ちゃんかわら版通信 てばさ記」は、専業主婦時代から書き続けている。手にしているのは、2016年9月1日発行の、重雄さん急性直後のもの(撮影=山本典利)

「ひとことで言えば、社員には『一緒にやってください』、お取引先には『助けてください』と、これだけを訴えました。会社のことを思う気持ちは亡くなった会長と同じだけれど、私はまったくの素人だから会長と同じことはできないし、できるようになる能力もないと思う。だから、私と一緒になってやってほしいと。もしかすると、成りすましじゃないけれど、会長のフリをすることはできるかもしれない。でも、会長と同じことを求められたら、いずれボロが出て社員からの求めに応じられなくなってしまう。だから、最初から会長と同じようにはできませんと言ってしまったんです」

一見、破れかぶれのような気もするが、この宣言、自分は素人であること、そして会長と自分は違うのだということを明確に認識できていなければ、できるものではない。

重雄さんと久美さんは、いったいどこがどう違ったのだろうか。

「学校の勉強でこんなに遅くまで起きていても何の意味もない!」

21歳で自衛隊を除隊して、重雄さんが第1号店「串カツ・やきとり・やまちゃん」を開業したのは1981年のことである。スパイシーな手羽先が人気を呼んで、84年以降、急速に店舗数を拡大。重雄さんが急逝した2016年には、実に77店舗を数えるまでに成長していた。

鳥男キャラクターとして看板に登場したことも手伝って、重雄さんには「カリスマ経営者」という異名がついてまわった。エスワイフードの社是は「立派な変人たれ」。重雄さんはまさに、この社是を地で行く変人だったようだ。

「よくカリスマと言われますが、基本的にはものすごく真面目で穏やかな人でした。ただ、本当にちょっと変、というところもあって独特の地雷があるんですよ」

たとえば、子供が勉強のために夜更かしをしていると、急に怒り出すことがあった。

「小説を読んだりして寝るのが遅くなるのはいいけれど、学校の勉強でこんなに遅くまで起きていても何の意味もない! って怒るんです。家族旅行をしている時も、たまたま旅行の直後にテストがあるからって子供が電車の待ち時間に英語の勉強をしていたら、こういう時間も含めて旅行なんだ! っていきなり怒って……。家族としては、えっそこ、という感じでしたね(笑)」