社風は温存しながらも「脱会長」を推進した
もうひとつの勝因は、「脱会長」を推進したことにあると久美さんは言う。脱会長といっても、重雄会長時代の社風を消すという意味ではない。むしろ、社風は温存しながら「もう会長はいないのだ」ということを周知徹底していった。
「私が代表になって、社員はとても不安だったと思います。なにしろ会長と違って、何かを求めても応えてくれないし、何もやってくれないわけです。でも、私からすれば、いつまでも会長、会長と言っていることが、社員が一歩前に出ることの足枷になってるように見えたのです。そこに気づいてもらって、社員ひとりひとりが一歩を踏み出してもらうことがとても重要でした」
久美さんが重視したのは、各部門の長である。部門のことは部門で決定し、解決してほしいと彼らに伝え、それを断行した。
「たとえば、何か新規の案件があった場合、1回目はゼロからすべて説明してもらうんですが、2回目以降はもう説明を聞かずに任せてしまうんです。それぞれの部門のトップがスペシャリストになって、会長がひとりでやっていたことを分担してやってもらうようにしていったのです」
素人ゆえに、権限移譲が徹底したものになったとも言えるだろう。その結果、個々の社員のスキルが大幅にアップして、好業績を引き寄せることになったというのが久美さんの分析である。
それにしても、人を信じて任せるのは口で言うほど簡単ではない。口では任せたと言いながら、後で口出しをしてくる人がいかに多いことか。なぜ、久美さんに、「信じ切る」ことが可能だったのか……。
現・エスワイフード代表=山本久美の意外な素顔に、秘密がありそうだ。
ミニバスチームを率いて、3回も全国制覇を達成
実は久美さんは、バスケットボールの世界で猛烈な実績を持つ人物であった。
中学から大学卒業まで一貫してバスケに打ち込み、中学では連続優勝し、キャプテンを歴任。小学校教諭の時代には、ミニバスケットボールのクラブチームの監督をボランティアで引き受けて、なんと3回も全国制覇を達成しているのである。
自身、バスケに関してはめちゃくちゃ厳しかったというのだが、他チームの監督とは一線を画していたという自負がある。
「ミニバスの監督の中には、椅子にふんぞり返ってうちわであおがせたり、自分の荷物を子供に持たせたり、父母にお弁当を作らせたりする人がいて、私はそういうのが大嫌いでした。バスケの指導は厳しくやりましたけれど、『威張らない、驕らない、欲張らない』をモットーに、コートを離れたら子供たちと対等に付き合っていました。対等であるという意識から、本当の信頼は生まれてくるんだと思います。だから、雪が降った日に雪合戦なんかやると『監督集中狙い』なんてことになる。他チームの監督から驚かれましたね」