自民党総裁選は「2位、3位連合」の歴史
もちろん「党内世論を議員がひっくり返すというのは正統性が問われる」という指摘はあるだろう。ただし、2012年の石破氏は1回目の投票で1位、党員投票では全体の過半数を取ったのに負けた。今回の場合、岸田氏は投票では1票差とはいえ1回目から1位だった。9年前に安倍氏が勝った時よりも、今回の岸田氏の方が、はるかに正統性があるといえよう。
そもそも自民党総裁選の歴史は決選投票での逆転の歴史だ。結党間もない1956年12月の総裁選では1回目で2位だった石橋湛山氏が決選で逆転、総裁の座を射止めた。その時からの文化なのだ。
河野氏が、安倍氏、麻生太郎副総理兼財務相ら党実力者から敬遠されている話は、9月25日に配信した「『これぞ腐ったリンゴの大逆襲』なぜ河野、石破、小泉の3氏は古い自民党から毛嫌いされるのか」で詳しく紹介しているのでそちらを参照いただきたい。それに加え、選挙戦でのある失言から、中堅若手議員からもそっぽを向かれたという点を指摘したい。
その「失言」とは21日に行われた若手議員との意見交換会での「(自民党の)部会ギャーギャーやっているよりも、副大臣や政務官チームを非公式に作ったらどうか」という発言だ。
「部会でギャーギャー」で若手にも嫌われた河野氏
若手議員たちとしては毎朝8時から自民党本部で行われる各部会に出席し、専門家や官僚と意見交換することで政策を積み上げているという自負がある。これを「ギャーギャー」と雑音のように表現されるのは不快な話だ。
さらに「副大臣や政務官のチーム」を優先させようという発想は、党よりも政府の方を上に見ている証拠。安倍、菅の両政権では「政(府)高党低」と言われ首相官邸がすべてを牛耳り、党にとどまる若手議員や、メインストリームから外れている中堅、ベテラン議員たちは疎外感を持っていた。河野政権になって継続、強化されるとなれば、「長所は人の話を聞く力」と強調する岸田氏の方になびくのが人情だ。
いずれにしても河野氏は、安倍氏ら実力者から嫌われただけでなく、中堅、若手議員からも敬遠され、そして自民党の文化の中からも居場所を失ってしまった。自民党内においては、ここ数年、石破氏が非主流派の役割を一身に背負ってきたが、今後は河野氏が「第2の石破氏」への道を歩んでいくことになるのか。
「ノーサイド。全員野球」と言っていた岸田氏は、河野氏を党広報本部長に起用した、広報本部長は確かに党役員ではあるが、重要閣僚を歴任した河野氏としては明らかに軽いポスト。「全員野球という名の冷遇」であるのは明らかだ。河野氏は党内で主流から外れていく道を歩み始めた。元祖「自民党の異端児」らしいといえば、それまでではあるのだが。