2012年の再現となった総裁選
世論調査では圧倒的に1位で、党員投票でも優位だった河野氏は、なぜ、いとも簡単に敗れたのか。言い換えれば自民党の国会議員は、なぜ「世論」に反して河野氏を引きずり下ろしたのか。11月には衆院選を控えることを考えると、人気の高い総裁を担いだ方が有利という判断が働きそうなものだが、そうはならなかった。
その理由は大きく分けて2つある。1つは自民党の文化。そしてもう1つは河野氏個人の問題である。
「自民党の文化」を語る前に2012年に行われた総裁選のことを振り返っておきたい。
9年前、野党時代の自民党の総裁選は、当選した安倍晋三氏のほか、石破茂氏、石原伸晃氏、町村信孝氏、林芳正氏の5人の乱立となった。
当初は現職総裁の谷垣禎一氏が再選を目指していたが、勝利が見通せないということで出馬を断念。5人で争う構図が固まったころは、幹事長だった石原伸晃氏が優勢とみられたが、総裁を支えるべき幹事長が出馬表明し、総裁の谷垣氏を不出馬に追い込んだことから「明智光秀」に擬せられて失速。その後、国民的に人気の石破茂氏が優位との見方が有力となったが、最終的には1回目の投票で1位だった石破氏と2位の安倍氏の決選投票に進み安倍氏が大逆転勝ちした。
当時の安倍氏は「終わった政治家」と受け止められていた
当時の安倍氏は、2006年に首相に就任しながら1年で政権を投げ出した印象が強く残っており「終わった政治家」と受け止められていて「民意」と違った決断をした自民党には疑問の声が上がった。しかし自民党は、安倍総裁のもとで政権復帰し、安倍氏は7年8カ月に及ぶ長期政権を築いた。
ここまで読んで気づいた人もいるだろう。今回の総裁選と非常に似ているのだ。まず、当初本命視されていた現職総裁が出馬辞退した点(今回は菅義偉首相が不出馬を表明した)。
そして情勢が目まぐるしく変わった点(今回は当初、河野氏が有力とされ、岸田氏が迫った。途中では、高市氏が急追する局面があった)。そして、党員投票で1位となった候補が負けたこと。どちらも「世論」に反した決断が下された。
2012年の総裁選が長期安定政権を築いた「成功」だと考えれば、今回の総裁選でも同じ道を歩むことに抵抗感は少なかったのではないか。