ワクチンを忌避する人の不安を軽くする“声かけ”
すでに損失を抱えているときの選択も興味深い。200万円の借金があったとして、何もしなければ借金は100万円に減額、コインを投げて表なら借金はチャラ、裏なら借金はそのまま200万円だとしよう。
人間が不確実性を嫌うのなら、何もしないで少しでも借金を減らす選択をするはずだ。しかし、実際に多いのはコインを投げる人のほう。損失を前にすると、それを回避するため、むしろ積極的に不確実性を選ぶ。
こうした人間の性質は行動経済学の「プロスペクト理論」としてまとめられていて、理論構築したダニエル・カーネマンはノーベル経済学賞を受賞している。千酌教授は、この理論を踏まえて次のように解説する。
「ワクチンを忌避する人の行動も同じです。打てばベネフィットがあると頭でわかりつつ、副反応リスクを過剰に意識するし、逆に副反応という損失を避けるためなら、ワクチンを打たずに罹患するリスクを取ってしまう」
問題は、非合理な判断を下しがちな人にどのようにアプローチするか。
「まずリスクよりベネフィットを強調して伝えることが重要です。もちろんリスクがあることも隠さずに伝えるべき。ただ、それと同時に有害事象が起きたときの対応法なども教えれば、不安を軽くしてあげられるのではないでしょうか」
子宮頸がん予防のHPVワクチンに対する「誤解」
mRNAワクチンを忌避する人がいる理由は他にもある。背景の一つとして考えられるのは、HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの定期接種でつくられた、ワクチンに対する誤ったイメージだ。
HPVは子宮頸がんの主な原因となるウイルスで、性的接触によって感染する。感染しても多くは自然に消失するが、持続感染すると子宮頸がんに進行するケースがある。
日本で子宮頸がんになる人は年間約1万人で、約2800人が亡くなっている(2017年)。婦人科腫瘍科長の佐藤慎也講師は次のように解説する。
「HPVの約200種類の型のうち、ハイリスクな型14種類が判明しています。14種類の中でもっとも危険な2つに対して抗体をつくるのが2価ワクチン。他に4つに対する4価ワクチンがあります。さらに20年7月に、90%以上の子宮頸がんを予防すると推定されている9価ワクチンが日本でも承認されました」
HPVワクチンの効果はどの程度か。新潟県で行われた調査(NIIGATA STUDY)では、2価ワクチンの有効率は91%、性交経験などを調整後の有効率は93.9%。新型コロナウイルスワクチンの有効率が90%台で相当に優秀と指摘したが、HPVワクチンも負けず劣らずベネフィットがある。
厄介なのはリスクのほうだ。実は、日本は2013年4月からHPVワクチンの定期接種を始めていた。
ところが接種後に広範な疼痛、運動障害などの多様な症状が認められたことが定期接種化の直後から繰り返し報道され、わずか2カ月後には接種の積極的勧奨の一時差し控えが発表された。
これは実質的な定期接種停止であり、7年経過した現在も時は止まったままだ。接種率は諸外国と比べて極めて低い。
ならばHPVワクチンは、リスクがベネフィットを上回るのか――。
これは完全に誤解である。接種差し控え後、調査が重ねられたが、これまでHPVワクチンと接種後の多様な症状の因果関係を科学的・疫学的に示した報告は一つもない。佐藤先生は、憤りを込めてこう語った。
「HPVワクチン接種後の多様な症状は、機能性身体症状――ワクチン接種後、検査では異常が見つからない様々な症状――と解釈されています。定期接種の対象は小学6年生から高校1年生の女子。若い世代はセンシティブで、注射のストレスで症状が出ることは珍しくない。それが過大に報道されて不安が増幅されてしまった」